プロフィール
来歴
ウルティモ・ドラゴンが立ち上げるというプロレススクール「闘龍門」の記事を見て一念発起、1期生に応募。すでに旗揚げ以前からウルティモ・ドラゴンと面識のあった黒木克昌(マグナムTOKYO)、藤井達樹(現:ドン・フジイ)、諏訪高広(現:SUWA)の3名と共に、選ばれた。
1997年5月11日、メキシコのアレナ・ナウカルパンにおける対黒木克昌戦で大島伸彦の名でデビュー。
その後シーマ・ノブナガと改名、ユニットのCRAZY-MAXを1期生のSUWA、フジイと共に結成(その後TARUが加入し、4人体制に)。最年少ながらリーダーになった。
日本上陸後、SHIIMA⇒CIMAと改名している。
2000年に開催された第3回「スーパーJカップ」では、決勝で獣神サンダー・ライガーに敗れて準優勝になるが、知名度も上がった。
その後M2Kやイタリアン・コネクションと抗争を繰り返す。
2004年、闘龍門から闘龍門ジャパンが独立しDRAGON GATEとなると、同団体でもエースとして活躍、新設されたオープン・ザ・ドリームゲート王座の初代王者に認定された。
C-MAX解散後は後継軍団といえるブラッドジェネレーションを結成するも分裂、ROHのメンバーを加えて国際派BGを結成。その後、BGを解消して、ドラゴン・キッド、横須賀享、斎藤了らとタイフーン(Typhoon)を結成。
2007年9月、大田区大会のオープン・ザ・ドリームゲート戦(対土井成樹)で首を負傷し、救急車で運ばれる。しばらくは試合をしていたが2008年4月頃から首が悪化し、5月5日の名古屋大会を最後に欠場。6月に復帰したがまた半年欠場する。
2008年12月28日、福岡国際センター大会で復帰。同日Typhoon解散。
2009年1月には音信不通になるが、現地2月10日にアメリカのWWEのトライアウト「シバ」のリングネームで受験している。
3月1日DRAGON GATEの大阪府立体育会館第2競技場大会で、新ユニット『WARRIORS-5』の結成と3月5日後楽園ホール大会からの完全復活を宣言。
その後「Blood Warriors」、「第2次ベテラン軍」(後の帰ってきたベテラン軍)、「MAD BLANKEY」、「OVER GENERATION」のユニットで活動。
2018年5月7日、岡村隆志が代表を辞任し、CIMAは株式会社ドラゴンゲートの代表に就任する形でDRAGON GATEから離れる。
その後、中国上海市を中心とした海外事業を展開してT-Hawk、エル・リンダマン、山村武寛と共に海外を中心に活動することになり、同時に「OWE」へ移籍。ユニット「#STRONGHEARTS」を組み、国内ではW-1、DDT、九州プロレスなど他団体に上がる。
2019年11月、団体の活動拠点を上海からカンボジア・シェムリアップへ移動。2019年12月には初の後楽園ホール興行を開催し、成功をおさめた。
2021年現在はCIMA含む4人のメンバー(T-Hawk、エル・リンダマン、鬼塚一聖)がGLEATに所属している。
得意技
他の選手と同じ技を使いたくないという拘りを持ち、数多くの高度なオリジナル技を編み出した。
抗争相手の技にヒントを得て技を作る場合もそのまま使わずアレンジを入れている。
打撃技
- ヴィーナス
- 串刺し式ジャンピングニーバット
- バカタレ・ヘッドスライディング
- エルボー
- 逆水平チョップ
- トラースキック
関節技
- サソリ座固め
- ターキー
- ゼブラスペシャル
投げ技等
- シュバイン
- シュバインレッドライン
- シュバインレッドラインホールド
- シュバイン固め
- シュバインシュタイナー
- ランニングシュバイン
- クロスファイヤー
- パーフェクトドライバー
- アイコノクラズム
- サルモネラ
- ナカユビ
- ドラッグボム
- スーパードロル
- コバクニ
- エゴイストシュバイナー
- ジャパニーズオーシャンサイクロンスープレックスホールド
※元祖は豊田真奈美の得意技。
飛び技
- マッドスプラッシュ
- トカレフ
- モナリザオーバードライブ
- コーナー to セイム・コーナー(コピー禁止)
- トルニージョ
- メテオラ
- メテオラホールド
丸め込み技
- ブラドシルクロード(旧:L.A.MART(エル・エー・マート))
- ドスカラスクラッチ
- ホルヘクラッチ
- ホルヘコンプリート