畠山義慶
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はたけやまよしのり
畠山義慶とは畠山家第10代目当主で畠山義綱の長男。父・義綱と祖父の義続の追放後に重臣達によって擁立されて当主となるが、後に権力争いに巻き込まれて謎の死を遂げた。(1554年-1574年)
1554年、畠山家第9代目当主・畠山義綱の長男として誕生。弟に第11代目当主・義隆と義親がいる。(ただし義親が義慶の弟という説は『加能城址集』と『加能越文庫』のみ)
12歳の時(1566年)に祖父の義続と父・義綱が遊佐続光、長続連らによって追放されると重臣達の手で畠山家第10代目当主となる。傀儡ではあったものの、1571年には修理大夫に任じられたり、2年後の1573年には能登の気多大社造営の棟札に自分の名を残している。
しかし翌1574年に突如として20歳の若さで死亡した。病の為に早世したとも伝わるが実際は重臣達の主導権争いに巻き込まれた挙句、遊佐続光と温井景隆に暗殺されたとも伝わる。
家督は義隆が継承するが、その義隆も1576年に兄と同じく20歳で早世してしまった。急遽、義隆の子(畠山春王丸)が家督を継承させられるが、1577年に上杉謙信が七尾城を攻めた際に春王丸も5歳で死去した為に畠山嫡流は断絶した。
初登場は戦国群雄伝ではあるが、実は6度も生年が異なっていた。(下記のリスト参照)
シリーズ | 生年 |
---|---|
戦国群雄伝 | 1547年 |
武将風雲録 | 1552年 |
覇王伝 | 1559年 |
天翔記 | 1565年 |
将星録 | 1560年 |
烈風伝 | 1556年(ちなみに1556年は弟・義隆の生年) |
と一定しなかったが、嵐世記以降は1554年に訂正された。が、天下創世と革新以降で顔グラが弟の義隆と入れ替わっている。
武器:刀剣 声:山田真一(3Empires) 宮坂俊蔵(3Empiresでの特殊台詞時の声と4以降)
「私がしっかりしなくては…お家をまとめるために…」(特殊台詞)
3Empiresでは遭遇すると上記の特殊台詞を喋るが、何故か通常時の台詞は父の義綱よりも老けた声で喋る。4EmpiresではDLCシナリオの信長包囲網のみで大名として登場する。
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