畠山義隆
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はたけやまよしたか
畠山義隆とは畠山義綱の次男。当初は二本松姓を称したが、畠山家第10代目当主の兄・義慶が謎の死を遂げると畠山家第11代目当主として継承するが、兄と同じく若くして死亡した。(1556年-1576年)
1556年、畠山家第9代目当主・畠山義綱の次男として誕生。兄に第10代目当主・義慶と義親がいる。(ただし義親が義慶と義隆の弟という説は『加能城址集』と『加能越文庫』のみ)別名は畠山義高。
10歳の時(1566年)に祖父の義続と父・義綱が遊佐続光、長続連らによって追放されると兄・義慶が重臣達の手で擁立されて畠山家第10代目当主となる。この時に義隆は二本松姓を名乗り、「二本松伊賀守義隆」と称して兄を補佐したとも伝わる。
1574年に兄・義慶が20歳の若さで死亡した事で義隆は二本松から畠山に戻して急遽畠山家第11代目当主として就任したが、その2年後の1576年に突然20歳で死去した。一説では兄と同じく重臣達の権力闘争に巻き込まれて暗殺されたとも伝わるが、実際は混同した可能性もある。
家督は実子・春王丸が継承した。
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