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白井健三

しらいけんぞう

日本の元体操選手である。床運動、跳馬で自身の名を冠する技を持つ。
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経歴編集

1996年8月24日生まれ、神奈川県横浜市出身。左利き。


両親や実兄2人がそろって体操をしていた影響から、自身も3歳より始め、小学校3年の時に両親が設立した体操クラブ「鶴見体操クラブ」に入団。本格的に体操競技に取り組み始める。


なお、上の兄、勝太郎は日体大を経て2020年までコナミスポーツに所属。下の兄、晃二郎も同じく日体大を経て、実家の体操クラブで指導員を務めながら2017年まで選手活動をしていた。現在はどちらも現役を引退している。


中学~高校編集

2011年、中学校3年時に全日本体操競技個人種目別選手権大会に出場、床運動にて2位に食い込んで注目される。

2012年、高等学校に入学した年に福建省莆田市(中華人民共和国)で開催された第5回アジア体操競技選手権では16歳ながら日本代表に選出され、男子種目別床運動で15.225点をマークして優勝を飾った。

2013年、第67回全日本体操競技団体・種目別選手権大会 男子種目別の床運動では第一人者の内村航平加藤凌平らが欠場する中、F難度の後方宙返り4回ひねりを決めるなど、計22.5回ものひねりを入れた構成をやってのけ、15.900点(Dスコア7.3)をマークして優勝。

同年10月の第44回アントウェルペン世界体操選手権(ベルギー)日本代表に選出され、大会では種目別予選において、床運動で新技「後方伸身宙返り4回ひねり」と「前方伸身宙返り3回ひねり」を、跳馬でも新技「伸身ユルチェンコ3回ひねり」を成功させ、国際体操連盟よりそれぞれ「シライ」「シライ2」「シライ/キムヒフン」(後に「シライ」は「シライ/グエン」に名称が変更。)と命名された。更に種目別の床運動決勝では16.000点をマークし、金メダルを獲得し、国内では「ひねり王子」、海外では"Mister Twist"と賞賛され、一躍注目を集める。(翌年9月に17歳1カ月の史上最年少でゆかの金メダル、「後方伸身宙返り4回ひねり」を決勝で初めて成功させたことの2つについて、ギネス世界記録に認定。)


大学進学後編集

2015年より日本体育大学に進学。

この年の世界体操競技選手権では37年ぶりの団体優勝に貢献し、種目別ゆかでは金メダルを獲得。

同年12月の豊田国際体操競技大会において「後方伸身2回宙返り3回ひねり」(最高のH難度)を成功させ、翌年2月に「シライ3」と命名された。

2016年、リオデジャネイロオリンピックでオリンピック初出場を果たす。

団体総合の決勝で跳馬と床運動で演技し、金メダルを獲得。

種目別決勝には床運動と跳馬に出場。床運動では金メダルも期待されていたが着地の失敗や細かなミスなどを連発してしまい、同種目4位に終わるが跳馬においてはリオデジャネイロオリンピックのためにおいていた新技「シライ2」を1本目で見事に成功させ、銅メダルを獲得した。

2017年世界体操競技選手権では床運動と跳馬で金メダル、個人で銅メダルを獲得。


その後は腰痛やけがに苦しみ、演技への採点要素が変わったことも成績に影響。

2021年6月16日に、全日本体操大会を以って現役引退を表明した。


引退直前となる2021年4月から、母校の日本体育大学にて任期制の助教授として採用されており、引退後は教員・体操部のコーチとして後進の指導にあたっている。また、実況解説・リポーターとしてオリンピックや世界体操などに関わっている。


特徴編集

好きなチョコレートは森永製菓の「DARS」で、テレビ番組でも他の選手に勧める様子が放送された。

(因みに内村航平は「ブラックサンダー」、加藤凌平は明治製菓の「マーブルチョコ」が好物でこちらも写真に写っている。)


料理が趣味の一つであり、Instagramでは普段の練習や日常の様子を投稿するアカウントの他に料理の写真を中心に投稿するアカウントを持っている。

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