概要
(1934年7月10日 - 2014年8月26日)1957年に劇団民藝水品演劇研究所に3期生として入る。
1959年には研究所同期の岡村春彦や常田富士男らとともに、劇団民藝に決別宣言をし、劇団青年芸術劇場(現・シアター青芸)を旗揚げする。1964年(1965年とも)に劇団民藝に復帰、2000年に退団するまで演出家としても活動した。2007年には劇団海流座を立ち上げ、代表を務めた
大河ドラマではたびたび大役を演じた。『風と雲と虹と』での国司でありながら将門の乱をたきつける皇族・興世王役での怪演を見せた。
1972年の『明智探偵事務所』では準レギュラー・「博多訛りの」怪人二十面相役を務めた。
役者のほかに絵本作家、絵師としての活動も行っており、ボローニャ国際児童図書展にて、1976年の『魔法おしえます』と1977年の『多毛留』で、2年連続グラフィック大賞を受賞した。