概要
紀伊山地の霊場と参詣道とは、和歌山県・奈良県・三重県に跨る3つの霊場と参詣道を登録対象とする世界遺産(区分は文化)である。2004年7月7日に登録された。
評価基準
世界遺産に登録されるには10項目の要件のうち何れか一つを満たす必要がある。
(ⅱ)建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。
→紀伊山地の文化的景観を呈する記念工作物群及び遺跡は、神道と仏教の融合による独特の所産であり、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を良く表している。
(ⅲ)現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。
→紀伊山地の社寺の境内と関連する儀礼は、1000年以上にもわたる日本の宗教文化の発展を示す希有な証拠である。
(ⅳ)歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。
→紀伊山地は、日本各地の社寺建築に深い影響を与えた独特な寺院建築様式、神社建築様式が生まれる場となった。
(ⅵ)顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)。
→紀伊山地の遺跡群及び森林景観は、ともに1200年以上にもわたり辛抱強く維持され、また非常に良く記録が残されている聖なる山の伝統を映している。
歴史
紀伊山地は神話の時代から神々が鎮まる特別な地域と考えられていた。6世紀に仏教が伝来した以降、紀伊山地は真言密教をはじめとする山岳修行の場となった。そして9~10世紀に広く流布した「神仏習合」思想の聖地としても信仰を集めていた。さらに10~11世紀頃の日本では「末法思想」が流行し、死後に阿弥陀仏の居所である極楽浄土に往生することを願う「浄土宗」が貴族や庶民の間に広まったことに伴い、都の南方に広がる紀伊山地には仏教諸尊の浄土があると信じられるようになり、この地の霊場としての性質がいっそう強まった。
このような特有の地形及び気候、植生などの自然環境に根ざして育まれた多様な信仰の形態を背景として、「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」と呼ばれる顕著な三つの霊場とそれらを結ぶ「参詣道」が形成された。
紀伊山地の霊場と参詣道は、三重・奈良・和歌山の三県にまたがる紀伊山地の自然がなければ成立しなかった山岳霊場と参詣道、及び周囲を取り巻く文化的景観が主役であり、世界でも類を見ない資産として価値が高い。
※文化的景観・・・自然と人間の営みが長い時間をかけて形成した風景のこと