小説『藪の中』
古典『今昔物語集』の一節をインスパイア源にした、芥川龍之介による傑作短編である。
初出は1922年(大正11年)の「新潮」1月号より。
同時に、その内容の意図が不明瞭なことから芥川作品のなかでも賛否両論の評価がされている。
なお黒澤昭監督の映画『羅生門』は、この『藪の中』をベースにしている。
内容
都より検非違使(※現在の刑事やお巡りさんポジション)が派遣され捜査が行われる。
関係者の一人一人に聞き取り調査を行うことになり何となくだが詳細が分かってきた。
被害者は金澤武弘というサムライで、妻の眞砂と共に馬に乗って若狭へと旅をしていたが、道中にて札付きの盗人である多襄丸に目を付けられてしまう。多襄丸は美人な眞砂を手籠めにしようと企み、一行を陥れようとしたーー。
ここまでは共通項として判明したのだが、問題は目撃者や多襄丸を逮捕した下級役人を含めた関係者7人の証言が微妙に食い違うことであった。
特に当事者であるはずの3人が証言する一部始終はまったく別の顛末であった。
被告人の多襄丸は「確かに男を殺したのは自分だが、それは女の方が『あなたが死ぬか夫が死ぬか決めてくれ』と頼んだから男の方を殺しただけだ。てゆうか、振り向いたらもう女はいなかったよ。」と語り極刑回避すら主張し、
彼に性的暴行を受けた眞砂は「私が乱暴されたあと放置プレイされている時に、木に縛られてそれを見せつけられていた夫が『悔しくてたまらないからいっそ殺してくれ』と頼んできたから仕方なく自分が殺した」と啜り泣き、
しまいには降霊術で呼び出した武弘本人にいたっては「妻のやつ、盗人に抱かれてメス堕ちしやがったんだ。終いには2人でイチャイチャしながら立ち去りかけたと思ったら、妻が俺を指差して『アイツ殺しちゃってよ、縁起悪いから(意訳)』って叫びやがった!盗人のほうが困って手をこまねいていたら、その隙に妻はどこかに逃げ出したよ。そしたら盗人のやつ、憐れんで俺を縛っていた縄を切ってくれたんだぜ。だから俺……虚しくなって自殺したんだ。」と言い出す始末であった。
注:当初の多襄丸は人殺しの意図は無くあくまで眞砂のカラダ目当てで、武弘を木に縛り上げ眞砂に乱暴した後はトンズラする予定であった」というシチュエーションは共通。
結局、オチもなにもなく7人7様の証言が語られただけで終了という投げっぱなしもかくや終わり方をしている。
内容の意図
発表後からしばらく「けっきょくこの話しの真実ってなんなの?!」という議論が盛んに行なわれていた。
しかし、現在では作者は推理小説的な意図でこの話しを著したわけではないと評価されている。
すなわち、どんな場面でも自分の都合を優先して真実すら捻じ曲げたがる人間のエゴイズムへの隠喩である、という意見が支配的となっている。
つまりこれ、広い意味でのホラー小説ということなのか?
慣用句
上述の小説内容が転じて、関係者全員の言うことが食い違うなどして真相が謎になっている状況を指して真相は藪の中という慣用句がうまれた。
似た言葉に真相は闇の中というものもある。
一説ではこちらの方が正当ではないかという意見もあるが、ソースが不足しているため「真相は藪の中」である。いや「闇の中」か、どっちだ??わけがわからないよ。
なお、現在では悪魔の証明やシュレーディンガーの猫と同じ意味としても使われている。
関連タグ
真実はいつもひとつ→反対語?