概要
明治42(1909)年、皇太子であった大正天皇の住まいとして完成した日本唯一の本格的な西洋宮殿建築である。
建築に当たっては建築家、片山東熊が中心となり、芸術家や技術者など各分野の著名人が集められた。その中には洋画家の黒田清輝や岡田三郎助、作品が欧米で高く評価された七宝職人の涛川惣助がいた。
片山は西洋の宮殿に負けないようにと渡欧を重ね、フランスのヴェルサイユ宮殿やルーヴル宮殿など多くの宮殿を視察し、建築材料や内部に設置する家具なども調達した。
装飾
建物外見の全体的な様式はネオ・バロックで、全体を花崗岩で化粧張りされている。
内装は、おそらく日本に現存している全ての西洋建築の中で最も豪華絢爛なものであろう。建築当時、内装に使われていた大理石は全てイタリア、フランス、ノルウェーなどのヨーロッパ諸国から輸入されたものである。主要な広間の天井画もヨーロッパの画家によって描かれたものである。内部に置かれている主な家具はフランスから輸入された。
内装装飾も基本的にはルイ16世様式に従っているが、装飾モチーフの中に、甲冑や琵琶、笙など日本的なモチーフが混ざって使われている。
完成後
このようにして完成した宮殿だが、その豪華絢爛な装飾が明治天皇の不評を買い、それを気にしたのか大正天皇もこの建物をつかうことはほとんどなく、昭和天皇と今上天皇が皇太子時代にそれぞれ数年ずつ過ごしただけだった。
戦後は図書館や裁判所として使われたのち、村野藤吾によって全面的に改修され、昭和49(1974)年に国の迎賓館となった。外国人を迎えるなら和風のほうが良かったのだろうが仕方ない。
平成21(2009)年、明治以降の文化財として初めて国宝指定を受けた。