概要
東方Projectに登場する森近霖之助に関連した二次創作のありかた一つで、知識の面でも能力の面でも本人の興味関心のあり方の面でも「道具」に心を寄せる霖之助と、様々な「道具」たちとの関係性にまつわるものである。
その名称は霖之助の能力名である「道具の名前と用途が判る程度の能力」(または「未知のアイテムの名称と用途が判る程度の能力」)に由来するか。
霖之助と「道具」
霖之助はその能力を活かして未知のアイテムも蒐集する。
その理由は主に自信が営む道具屋である「香霖堂」でそれらを商品として取り扱うことであるが、手に入れたアイテムに特段の価値がある場合などは商品ラインナップから撤去して非売品にし、手放さなくなるという蒐集家としての一面ももつ。
「 店の大半はコレクションであり、確かに余り手放したくない 」(霖之助、『東方香霖堂』第二話)
「 僕にとっては商品より価値の有る物ばかりなのだ 」 (霖之助、『香霖堂』第十二話)
ただしその能力を通しては「使用方法」までは判ることが出来ないこともあり、その後の試行錯誤も含めてどう使うのかが判らない場合などは商売人としての顔が優先することもまたある(例えば『東方文花帖』)。時には特定のアイテムに相手が非常に価値を見出していることを察知すると値段交渉で優位に事を進めようとする抜け目ない商売人としての一面もまたも持つ。
しかしながら霖之助は多くの場面で道具に対して愛着を持ち、それぞれのアイテムをより理解したいという想いを持っている。沈んだ心理状態のときでなければ理解したものを誰かに話したいという気持ちも高い。
道具と付喪神や式神
道具は、使い込まれ様々な想いがこもったり使用の過程でなんらかの謂れを備えたり、あるいは元々霊性の高い素材やつくりであるなどの理由で単なる「物」としての性質を超えて独自の存在性を得ることがある。付喪神への変化である。
今日の幻想郷では様々な付喪神が生まれており、他の妖怪に育てられたり(例えば『東方鈴奈庵』の生まれたての付喪神たち)、能力を活かしながら自身の希望と社会生活を両立させようとしたり(例えば多々良小傘)、時には付喪神たちが自らの社会を確立しようと行動を起こそうとしたり(例えば主に堀川雷鼓)と、それぞれが自我のある一個の個性として存在している。
自身の付喪神性が楽器に由来する存在(例えば九十九弁々や九十九八橋、雷鼓など)や芸能で用いられる道具の付喪神(例えば秦こころ)などは付喪神となって以後各々の道具性の長所を生かした活動を展開しており、幻想郷の新たなエンターテイメントの一角ともなっている(例えば女子二楽坊や新生暗黒能楽)。
付喪神の他には「 使役者の命令通りに動く道具 」としての「式神」もあり、「付喪神」とはまた生まれや発現の経緯の経緯が異なる。
また「 人形 」がそういった式神たり得るかという疑問について霖之助は「 今の幻想郷 」ではそれはできない、としている。霖之助によれば、式神などにおいてもどの程度使役者からの影響を受けているかの度合いはあるにせよ、本人の自由意志があるかどうかが重要な境目で、人形が純粋に「 操られているだけ 」の場合は式神とは言えない。
「道具に愛される程度の能力」
霖之助は道具に愛着をもち、先述の通り今日の幻想郷では道具の中には種々の自我を持つ存在も生まれ続けている。二次創作においてもそういった今日の幻想郷の環境と霖之助が交流する姿が想像されており、その一つが先述の付喪神を好例としたさまざまな「道具」たちとの交流である。
霖之助は道具を大切にするので特に不遇を理由に付喪神となった存在たちからの愛着の程は深くなるであろうことが想像されることがある。そうでなくとも道具としてのルーツに興味を注ぎ、至る歴史についても傾聴に開かれている霖之助の姿があるとなれば、それは種族を抜きに他者関係として良好なものであるといえるだろう。
霖之助の心の内には道具による社会への影響の懸念の意識もあるがそれと並行して道具を肯定する心理的土壌がある(そのため危機意識と道具への想いが心の中で対立することがある)ので、これは道具時代を経ている付喪神にとっては生まれてきたことを肯定されることに近いかもしれない。
ただし付喪神たちは道具であった時代の通り「用いられる」ことを喜びとするものもあり、この点について香霖堂の奥の倉庫に収蔵してしまう事の多い霖之助との関係性をどうとらえるか考えるアプローチもある。
他方で霖之助は生命と道具を別個にとらえており、それぞれへの尊重の仕方は異なる。
自我をもって一つの生命としても活動できるようになった付喪神たちなどは単にしまい込む対象とはならず他の人間や妖怪たちと同様に生命として理解するのではと考えるアプローチもまたある。
また付喪神や式神といった自我を持つ存在ばかりではなく、比喩として「道具に愛される」霖之助の姿も想像されており、道具を思う霖之助の魚心が意思を持たぬ存在であるはずの無機的な「道具」に水心を喚起させるといったアプローチは、アニミズム的な想像力にも通じるところかもしれない。
あるいは霖之助の道具の取り扱いや手入れが良好であるために道具側のコンディションもまた良好に保持されることで、結果的に必要とされた際に道具が非常に良いパフォーマンスを示すといった背景がある場合などは、「霖之助の道具は同系列の他製品以上の性能を発揮できる」といったニュアンスから「(霖之助は)道具に愛されている」と例える際の表現として用いられることもある。
東方Projectの二次創作では多数のカップリング的可能性が個性豊かに多様に想像されているが、独自の能力も通して愛着をもって道具を理解する霖之助と道具としてのルーツを持つ付喪神などの存在の関係性というのは両者の間柄に特徴的なものであり、ファンの間でもこの両者ならではの可能性について様々に想像されている。