概要
(1924年4月6日 - 2000年6月19日)。
温厚な性格で「仏の徳さん」と呼ばれ親しまれた。
1947年に南海ホークス(同年6月に「近畿グレートリング」から改称)へ入団。
1951年から1952年には3割前後の打率を残して打点王を獲得し、守備の負担軽減を目的に中堅手へコンバートされた1955年にはリーグ最多の163安打を放ってMVPを獲得した。
1956年には154試合にフル出場し、外野手転向2年目だったが脚力を活かした広い守備範囲は衰えを知らず、16捕殺を記録してチームに大きく貢献した。
1957年より一塁手に戻り、4番でありながら40盗塁を記録して、4番打者として史上初となるなど脆弱な打線を牽引する。
1961年からはコーチ兼任となる。
1963年に通算2000試合出場まであと35試合、通算2000本安打まであと22本で現役を引退した。
引退後は解説者や指導者として活躍した。
監督・コーチ歴
国鉄スワローズ
サンケイスワローズ (1961 - 1967)
南海ホークス (1968 - 1969)監督