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養由基

ようゆうき

中国の春秋時代における楚の武将。(チート的な)弓の達人として有名な人物。「百発百中」、「猿号擁柱」などの言葉の由来となった人物でもある。
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生涯

生没年不明。
最初、の荘王に仕え、同じく仕えた武将・屈蕩と共に晋の大軍と対決した「邲(ヒツ)の戦い」等で活躍し、荘王の覇業を支える働きをした。
その荘王没後は、後継者である共王に仕えた。晋と激突した「鄢陵(えんりょう)の戦い」の時は、共王の命令で敵将・魏錡(ぎき)を一矢で射殺したり、その後の呉との防衛戦では楚は劣勢であったが、子庚と共に撃退するなどの活躍をした。

その後、歴史上登場することはなくなったが、自分の弓の後継者を探して700歳まで生きたという伝説もある。

人物評

彼を語る上で外せないのものとして神がかり的な弓術の腕前があり、李広と並び中国史最高峰の弓の名人と称されている。
具体的なもので、七枚重ねた甲冑を一矢で貫通させた。蜻蛉の羽根を射ることができた。100歩離れて柳の葉を指定の順番通りに射ぬいた。などまさにリアルチートぶりの逸話が伝わっている。
そのような逸話から故事成語「百発百中」の語源となった。

またある時、主君である楚王が飼っていた白猿が飛んでくる矢を掴むわざを持っていたので、養由基に射させてみようとした。ところが準備している段階で、何かを感じ取ったのかた白猿は泣き叫び柱にしがみついたと云われる。この出来事から「猿号擁柱(えんごうようちゅう)」という弓の名人を表す四字熟語が生まれた。

その他、意外なところに関わりがありを退治した際に用いられた弓「雷上動(らいしょうどう)」の持ち主とされている。これでは前述の伝説通り700歳まで生きた養由基が亡くなる際に、娘である枡花女(しょうかじょ)がその意思を引き継ぐこととなった。そして、源頼光の夢枕に現れ、雷上動と水破兵破(すいはひょうは)という二筋の矢を与えられ、目が醒めると実際に弓矢を得たとされる。その後、代々引き継がれて源頼政の手に渡り鵺を退治した。

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