史実
当時嗣子のなかった楚の考烈王を案じ、妹の李環を春申君を通して献じた。
その後李環が男児(幽王)を産んだことで、李園は楚王家の外戚となり、楚の政治に大きく関わるようになった。
後に春申君を暗殺し、甥の幽王の時代に楚の朝政を牛耳った。
キングダム
CV:咲野俊介
概ね史実通りだが、本作では王弟の存在から事情が複雑になっている。
考烈王には異常な精神性を持つ王弟が存在し、このまま考烈王が崩御すると、その王弟が即位することになる。
それを阻止すべく李園は上記のように考烈王に子が産まれなかったことを案じ、妹の李環を春申君を介して考烈王に献上。
考烈王・春申君・李園の三人は、春申君の子を産ませその子を即位させる苦肉の策を講じることにした。
しかし考烈王の死去の後に春申君は、暗君を出すより王族の血を失う方が罪深いという理由で、王位を王弟に継がせると言い出した。
とはいえ王弟が即位した場合はこの計画が公になり、自身や妹も殺されるため、お互いに刺客を送り、最終的に李園が生き残った。
だが、産まれた李環の子(幽王)は当時2歳で政治に関わるのは当然無理なのに加え、国王の崩御によって国の内外に大きな動揺や波乱が起きるのは目に見えていた(特に中華統一を目指す秦は真っ先に楚を狙うと考えるだろう)。
宰相の枠は一人しかないが、春申君の食客の一人でしかなくかつ軍事的な事情に詳しいと言い難い李園だけでは、項燕が言う「中華最大規模を誇る楚軍の力を最大限に生かせない」普通の国(=考烈王以前の楚国)にしかならないことから、戦の天才かつ楚軍最大の三十万の兵士を所有する媧燐に二人で宰相になるように嘆願した。
そして李園は変令を用いて臨時的に二宰相制を行い、一月余りで国の内部を安定させた。
史実では宰相は李園一人であり、媧燐は元々政治に興味ない人物であることから、一時的に宰相になった(=一時的なため史実に残らない)形になったと思われる。
元々、李園は司馬遷の『史記』では「春申君を暗殺し国政を乗っ取った奸物」という評価であり、キングダムの作者・原泰久氏も当初は嫌っていた人物であった。しかし、如何に甥が皇帝の座に付けたとはいえ、宰相である春申君を暗殺した人物がその後釜に座るというのは並大抵のことでは無いのではないか?と疑問を抱いたこと、史実でも李園が優れた政治手腕を有していたことを鑑みた結果として、このような深みのあるキャラクターとして描かれることとなったのである。