概要
日本の伝統的な髪型。主に近世(安土桃山時代~江戸時代)に男女共に結っていた髪型。ここでは主に男性の髪型について解説する。女性の髪型は日本髪を参照。
基本は伸ばした髪を後頭部で結い上げる構造。身分や流行によって形態は様々である。男性の場合、縛り上げた髪を立て、次第に縛った髪を折り畳んで頭頂部に乗せる形になった。
頭頂部を剃った月代は、武士が戦で兜を被る時に行われ、中世には蒸れないように毛を抜いていた。戦が頻発した戦国の世においては、月代を常に剃る習慣が定着し、庶民が真似て、後世ちょんまげと呼ばれる髪型が広まった。風雲急を告げる幕末に至ると、武士の間では月代を剃る手間をかけない総髪が再び広まる。
特別「月代を剃るべし」という法律自体はなく、いわゆる“風俗”“慣習”として根づいた文化である。特に江戸時代などでは、「武家の気風を見習うべし」と百姓や町人たちの方が真似をして月代を剃るようになっていったと言われている。
時代が移り、幕末になると武士の若者の間で月代を剃らない髪型が流行。髪を剃る場合でも月代が極端に狭い講武所風という髪型が流行った。そして明治4年8月9日、旧弊を廃するという目的で、散髪脱刀令(断髪令)が発布された。なお、散髪脱刀令は「髪型を勝手にして良い」という布告であり、髷を切り落とす事を強制する法令ではなかったので、以後も髷を結い続ける者も多くいた。外務卿であった岩倉具視など、発布後の明治4年11月に、髷姿のまま、アメリカに交渉に赴いている。それでも、西洋風の「散切り頭」にする者は徐々に増え、やがて大正になると、力士など特定の職業を除いて、髷を結った男性はほとんど見られなくなった。
女性の日本髪はその後も広く行われ、女性の断髪が定着するのは大正末期から昭和に入ってからである。