概要
年齢は18歳(監督のTwitterより)。
黒薔薇編で初登場する、鳳学園理事長代行にして姫宮アンシーの兄。
理事長の娘である高等部三年の鳳香苗と婚約し、鳳家の養子となっている。
すぐ脱ぐ。スタイリッシュ脱衣な人。
アンシーと同じく、褐色の肌に紫色の髪をしており、その姿は異邦人を思わせる。
肉体は長身かつ筋骨隆々であり、まさしく成熟した『大人の男』。
学園で一番高い建物である理事長館の、さらに頂上にある理事長室を仕事場としており、現在ここは暁生が私物のプラネタリウムの投影機なども持ち込んでいるため、ほぼ彼の私室。ちなみにこのプラネタリウムは 婚約者の鳳香苗曰く「これがあるから婚約したんだ、と陰口を言われる」ということから鳳家からもらったものである。実際にプラネタリウムの値段は立派なものだと家や車よりも高価な場合も。
趣味は星を眺めることで、暇さえあれば理事長室でプラネタリウムや望遠鏡で星を見て過ごしている。
性格は頼れる『大人な男性』であり、包容力もあり女性を大事にするフェミニスト。
女性と会う時は相手の好きな香水を身にまとい、エスコートや繊細な気配り等は欠かさない。
また真っ赤なスポーツカーを愛車としており(モデルは幾原監督の愛車)、ドライブもよくしている。もちろん女性と。
妹であるアンシーとの仲も良好。
兄妹のことは「普段は気にもしないし、役にも立たない。でも、時々見上げて、心安らかになったりする」と語っており、週に一回は必ず会うようにしている。
謎の人物『世界の果て』が仕組んだデュエリストによる決闘ゲームや、妹のアンシーがそこで賭けの対象となっていることは気が付いていない。
アンシーも「兄を心配させたくない」とのことでそのことを秘密にしており、それらのことは知らずにいた。
アンシーの親友であるウテナのことも気に入っており、仲は非常に良い。
3クール目からは二人を理事長館に招待し、三人で暮らすようになっている。
総評するとまさしく女性が夢見る『白馬の王子様』がそのまま表れたような人物であり、学園の内外問わず女性にとにかく人気がある。
主人公である天上ウテナも例外ではなく、やがて彼に惹かれていくこととなる。
しかし思い出の『王子様』であるディオスや、暁生が親友である姫宮の兄であること、なにより暁生に婚約者がいるため、その思いに苦悩するのだが…。
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その正体は、ウテナに「薔薇の刻印」の指輪を授けた『 王子ディオス』の成長した姿で本人。
つまり王子様のような人物ではなく、本物の『王子様』だった人。
幼いころ天上ウテナは両親を亡くし、深い悲しみの底にあった。
両親の死によって永遠なんてものがこの世にはないことを知って絶望するウテナ。
「生きていることは気持ちが悪い」と生を否定して両親と共に自身も棺の中に入り、生を終えようとしていた
そのとき現われた王子ディオスによって、ウテナは自身があってほしいと望んでいた「永遠のもの」を見せられる。
そして「永遠のもの」を見せられたウテナは悲しみの棺から抜け出し、再び生きる意思を取り戻し救われることとなった。
この出来事はウテナの内面に大きな影響を及ぼしており、いわば、ウテナの人生を変え、そしてその生き方を決定づけた人物。
ここからウテナは「王子様」に憧れるようになり、自身も王子様になろうとして男装をするようになっている。
「王子様のように気高く、格好良く生きる」という彼女のアイデンティティは、ディオスとの出会いから始まっている。
この時貰った指輪『薔薇の刻印』は大切な宝物であり、ウテナは肌身離さず身に着けていた。
ディオス「たった一人で、深い悲しみに耐える小さな君、その強さ、気高さを、どうか大人になっても失わないで。今日の思い出にこれを」
ウテナ「私たち、また会えるわよね」
ディオス「その指輪が、君を僕のところへ導くだろう」
その言葉通り、ウテナは暁生のいる鳳学園に導かれることとなる。
そして再会した二人はやがて惹かれあい、一夜を共にし、結ばれるのであった……。
この出来事を期に、物語は最終章『黙示録編』へと進むこととなる。
「『世界の果て』を見せてあげよう。君にもね」
その正体は、エンゲージすると「世界を革命する力」が与えられると言われる「薔薇の花嫁」姫宮アンシーを賭けた決闘ゲームを作り上げ、
鳳学園でデュエリスト達を争わせていた張本人にして黒幕、『世界の果て』
本性は冷徹で目的なら手段を選ばない残忍な性格。
ちなみに正体がディオスというのも間違いではなく、こちらもまぎれもない真相。
つまりディオス→鳳暁生=『世界の果て』 。
だが、かつてウテナと出会った気高いディオス…「過去の自分」とはかけ離れた人物と成り果てている。
かつては気高い「理想」を持っていたが、現実の中で大人になり、「理想」 に代わり「野望」を持った「王子様のなれの果て」。
「理想」を亡くしたことから、かつて持っていた王子の力「世界を革命する力」が失われており、若く「理想」を抱いたデュエリストを競わせることで王子様の力を顕現させ、それを再び自分の物とすることを目的としている。
そのためならどんな手段でも用いるようになっており、以前の理想を抱いていたディオスとは程遠い人物に成り下がっている。
華奢な肉体だったディオス時代と比べて筋骨隆々となった自分の肉体を、とにかく誇示する。
シリアスパートで、気が付いたら半裸になっていたことなど日常茶飯事。
また生徒会の桐生冬芽や西園寺恭一と一緒に、半裸の撮影会なども行っている。
ちなみにこれらは作品の演出意図としては「男が自分の力を誇示する姿」があるらしい。
極めつけは3クール目の「鳳暁生編」。
この章から彼は直々にデュエリストを用意するのだが……。
「デュエリストを乗せて暁生カーを運転していた暁生が半裸になり、走行中に突然逆立ちで運転席からボンネットに飛び移り、視聴者の方にもんの凄いドヤ顔で自分の肉体を見せつけながら突っ込んでくる」。
筆者の経験で言うと、あれを初見で吹かない人はいないと思う
(ちなみにこのとき流れるBGMのタイトルは「Akio car」)
一応、解説すると、
1.デュエリストは大人の象徴である暁生の「車」に乗せられ、
2.子供であるデュエリストは「大人」でないため、「車」を降りることも、行先を決めることも出来ず、
3.暁生によって、彼らの「世界の果て」に連れて行かれ、
4.果てを見たデュエリストは、自身の世界を革命するために「世界を革命する力」を求めるようになる。
ということが行われている……らしい。
暁生カーによって「世界の果て」に連れて行かれたデュエリストが、何をされたかは不明。
一説には「時が停止した世界」である鳳学園の真実を見せられ、自分が卵の殻に閉じ込められている事を自覚させるらしい。
「世界の果て」に行った者は、例外なく「世界を革命する力」を求めるようになっている。
だが本編で行われているのはシリアスな笑い。まさしく公式が病気。
ちなみにいわゆる召喚バンクなため、「鳳暁生編」からは、ほぼこれが毎話画面に流れている。
『王子様』という自分の魅力をこの上なく理解しており、これによって多数の女性を籠絡・利用して今の地位を築き上げた。
鳳学園の理事長が病に臥せっているのも、暁生が理事長の妻を誑かして行わせた策略の一つ。
(当然、婚約者である香苗とも関係を持っているので、母娘丼でいただいている)
これにより、鳳学園という自身が頂点の世界を作り上げた。
その他にも多数の女性と肉体関係を結んでおり、それは主人公であるウテナや妹のアンシーも例外ではない。
さも当然のように自身のために女性を利用しており、ウテナと肉体関係を結んだ事実も彼女の「世界の果て」を見せるときに最大限に活用し自身に惚れたウテナは自身の駒としか思ってない。
暁生「フィアンセのいる俺を拒まなかった。それは罪じゃないのか?」
ウテナ「卑怯だよ、こんなの」
暁生「卑怯? 真実の自分から目を背けて、他人を責めるのは卑怯じゃないのか? 自分だけが清らかで、正しいつもりでいるのは、卑怯じゃないのか?」
アンシーが週に一度呼び出されるのも、情事を行っているため。
暁生にとってはアンシーは、自身が王子から世界の果てに堕ちることになった現実そのもので、身を挺して『王子様』の重圧から救ってくれた女神であり、彼を『世界の果て』に堕とした魔女でもある。
そのためアンシーに対しては愛憎入り混じった感情を抱いており、両方の感情で近親相姦を行っている。
アンシーとはもはや離れることのできない愛し合う=近親相姦関係となっており、彼女と共に自身の野望を実現しようとしている。
決闘ゲームは彼女を『駒』とした策略であり、中盤の黒薔薇会編ではアンシーを通して裏で全ての糸を引いていた。
また部屋にあるプラネタリウムは、青臭い夢や願望を持つ者に彼らが望むおとぎ話の幻を見せる装置であり、これにより「雲の上にある決闘場」や「空に浮かぶ幻の城」など、奇跡の力があるような幻を作り出していた。
暁生自身もこの装置によって、自分がディオスだったころの光り輝いていた「理想」の幻を見て過ごしている。
ウテナとの対決の際に、見たい幻を見せる理事長室やプラネタリウムが下らないと言われた時には、
「『子供』に、この部屋の価値はわからない」 と言葉を返している。
決闘に与えられた名前は『革命』。
決闘BGMは「体内時計都市オルロイ」。
またウテナと刃を交える人物の中で彼だけが植物と無関係な名前だが、それは彼がデュエリストでは無いから。
つまり「子供」でもなければ、青い「理想」や「夢」も抱いていない。
決闘の最中、ウテナの「王子様になる」という強い意思によって崩壊を始めた決闘場に動揺した隙をつかれ、決闘ではウテナに優勢に立たれる。
しかし暁生はアンシーを盾にし彼女をひるませ、さらに油断したウテナをアンシーに背後から刺させて決闘に勝利してしまう。
その後、ウテナの持つ気高さの象徴である彼女の心の剣「王子の剣」を奪って、かつて自分が持っていた世界を革命する力を封印した扉「薔薇の門」を、 剣を使って開けようとする。
その間、王子に向けられた民衆の憎しみの象徴たる「百万本の剣」を、妹・アンシーに受けさせていた。
だが力任せに剣を扉に叩きつけた挙句、剣はあっけなく折れてしまう。
これを見た暁生はあっさり扉を開けることを諦め、次の機会を待つことにするが、そこへウテナがボロボロの身体で素手で扉を開けようとした。
そんなウテナの様子を、暁生は「昔の俺と似ているが、ひたむきさだけでは何も変わらない」と他人事のように冷めた目線で見物。
だがウテナの、そのアンシーを一途に想うひたむきさが彼女の心の扉を開き、みっともなく動揺する。
そして世界を革命する力を秘めた薔薇の門、ではなくアンシーが眠る棺を開きかけ、薔薇の花嫁を救ったウテナはその代償として百万本の剣に貫かれ、学園から姿を消す。
2ヶ月後、姿を消したウテナを「ただの落ちこぼれ」と嘲笑いながら、次の世界を革命する者を選定する決闘ゲームの準備をする暁生。
しかしウテナによって、意識革命したアンシーに「あなたはこの居心地のいい棺の中で、いつまでも王子様ごっこし続けてください」 と一蹴し、学園を去る。そんなアンシーを呼び止めるが、アンシーは振り向くことは無かった。
漫画版
「王子様」の体の中に宿っていた二つの意識の片割れである「闇のディオス」が暁生らしい。アンシー同様人間ではないことを仄めかしている、かつてもう一つの意識である「光のディオス」とは兄弟ように仲良く育ったが巨大な力を持つ光のディオスに嫉妬心を抑えられなくなり、光のディオスを倒して「世界の果て」となった。
アニメ同様ディオスの力を手に入れるためにウテナに接近し「契りの儀式」を行い、ウテナを「薔薇の花嫁」にさせることに成功する。
実はディオスの力はウテナではなく最初から暁生が手にするものだった。しかも最終勝利者(ウテナ)は最初から薔薇の花嫁になる予定だった。
アンシーの薔薇の花嫁の役割は終わったと棺に封じ込め、ウテナに「アンシーよりも良い花嫁になれる」との言葉を吐き、ディオスの城へ向かおうと誘うがウテナの怒りを買い拒絶されてしまう。
拒絶されウテナを捨て1人で行くことになる、ディオスを殺しディオスの力を手にする。
ウテナとの決闘を圧倒していたがウテナがアンシーを救いたいと願う強い思いでディオスが復活し彼女と相討ちになる。怪我したことでアンシーに助けを求めるがアンシーから見限られ、新たな光のディオスとなったウテナと一つになって消滅する。
劇場版 アドゥレセンス黙示録
姿を消している鳳学園の理事長にして、姫宮アンシーの兄。
劇場版に合わせて設定・デザイン共に大きく変わっており、TV版の筋骨隆々だった肉体から細身の華奢な青年となっている。
一人称も「俺」から「僕」となっている。
あまり脱がない。
TV版がルシファーがモチーフだったのに対して、こちらはベルゼブブがモチーフ。
鳳学園の理事長であり、仕事が出来、人柄もやさしく、完璧なルックスをもつ外見上は『いい男』。
絵を書くことを趣味にしている。
「薔薇の王子様の正体は、実は、蠅の王だったんだよ。魔女だった妹が魔法の力で、王子様にしてたんだ」
実は妹であるアンシーに、兄妹愛以上の感情を抱いており、裏では彼女に対して様々な行為を行っていた。
それがわかりやすく表れているのが彼の描いた絵。
アンシーがモデルとなっているのは序の口で、その内容が徐々にエスカレートして
最終的には裸のアンシーの絵となっている。
絵を描くためと称して、脱がせてはその裸体を見ていたらしい。
さらに劇中ではアンシーの飲み物に薬を入れ、眠らせたところで肉体を犯すなどの行為すら行っていた。
しかもこの時のことをナニに使用するのか、自分でカメラを設置し映像に記録している。
(また劇中の台詞から、一度や二度の過ちでないことが示唆されている)
しかし実はアンシーは眠っておらず、自ら望んで体を捧げていた。
さらにアンシーが、自分を『王子様』として見ていることを知ってしまう。
隠していた本性がとっくにアンシーには知られおり、それが受け入れられていたという事実。
さらに愛する妹が自分に見ていた『理想の王子様』という姿と、現実の自分の姿のギャップに錯乱。
そして
「言うな! 僕はそんな人間じゃない!」
「鍵、鍵だ、鍵が見つからないんだ! 鍵のない車はうごけないまま錆びていく。鍵はどこだ? うあああ……鍵は一体、どこなんだ!!」
ちなみにこちらの暁生は、車を持っているが鍵をなくしており運転することができない。
そのため見た目は大人でも中身は子供、もしくは大人になろうとしなかったことが暗喩されている。
映画終盤、『子供の世界』である鳳学園を抜け出し、大人になるため『外の世界』に向かうウテナカー・エレガンサーモードとアンシーの前に登場。
アンシーが子供であったことの象徴として、最後の壁となって立ちはだかる。
「さあ、僕と一緒に帰ろう。生きながら死んでいられる、あの閉じた世界へ」
クライマックスの登場シーンと、アンシーとの最後の戦いは必見。