概要
東方Projectに登場する茨木華扇が、『東方茨歌仙』作中において怨霊を右手で「握りつぶした」シーンに描かれている擬音または擬態表現である。
その順としては、握って「 グチ 」、手を開いて「 サァ 」である。
前者の段階で怨霊は握りつぶされており、後者はその残骸が風に流れる様子を表現したものである。残骸が散る様としては、煙のようなものとともに細かいかけらのようなものが華扇の右手からさらさらと散っていく様子が描かれている。
なお作中では「サァ」の部分は「 サァア… 」または「 サマア… 」等とも読むことができる。
また別の機会でも華扇は怨霊を同様の方法で排除しているが、こちらの効果表現は怨霊を「 ガッ 」と握った後に一気に握り、残骸が「 サァァァァ 」と散っていくものとなっている。最初の効果の段階は時系列的に先述の「グチ」に相当する部分の少し前、握る瞬間が表現されたものとなっており、一方で「グチ」に相当する握られている最中の効果はこの場面では描かれていない。
さらに別の機会ではシーンのテイストの都合上、その瞬間の音は表現されていない。
それぞれのシーンで表現内容・方法は異なるものの、潰された後の怨霊はいずれも細かい破片と煙状の何かになって消えていく、という描写となっている。
「怨霊」
東方Projectにおける怨霊とは、死後の存在である。
生前の行いについて、種々の懲罰を通してその罪の重さを悔いさせるべく地獄にのみ所在するはずであるが、『東方地霊殿』をはじめとする昨今の地下世界または地獄などの騒動の影響もあって一部の怨霊が地上に出てきている。
怨霊は生者を惑わしその自制を欠かせ、死後地獄へと至らしめるような行動へ走らせる危険な存在である。その影響は人間だけでなく妖怪の精神にも悪影響を与える存在であり、精神的な影響に脆いという特性をもつ妖怪にとってはその根本的な存在に関わる警戒すべき存在である。
地獄では怨霊は各種鉱物の原料ともなるが、得てして成果物には有毒となる物質が含まれているなど対他者という点においてどこまでも危険な存在である模様。
「輪廻の輪」
ただし、怨霊ももとは一個の人格をもった存在であり、生前の行為に対する懲戒とともに先述のように改悛でもって再び輪廻の輪に戻れるよう自覚を促すというのが、地獄を含めた大局的な輪廻のシステムのあり方である。
一方華扇の行いは怨霊を「消す」ものである。
これは正常な輪廻のあり方からすればイレギュラーなことであり、例え対象が危険な怨霊であろうとも是認されるものではない。作中では、死神である小野塚小町がこの事について華扇にその旨を通告し、その行いに警告している。
ただし、怨霊をどうやって消しているのかについては小町も仔細は把握していない様子である。
破壊する「右手」
本来なら破壊できそうにないものを何らかの「把握」という形で破壊する、と言う意味において、同作シリーズに登場するフランドール・スカーレットの「ありとあらゆるものを破壊する程度の能力」にその類似点を見る事が出来る。
フランもまたその「手」で握ることを通して対象を破壊することができ、作中ではその右手で飛来する隕石を落下前に中空で破砕させている。
ただしフランの場合は対象を直接握るのではなく対象の「 目 」をその右手で掌握することで対象を破壊するというものとなっている。
またフランの場合は「ありとあらゆるもの」を破壊できると称されているのに対し、華扇の場合は怨霊は破壊したが「黒い霧」はそもそも掴むことができなかった様子であるなどの相違点もある。
その他の作品では
『東方深秘録』に華扇が登場した際も、その右手で「握る」という攻撃アクションが展開された。
怨霊に比べ対象が大きい(概ね相手の体格は人間のサイズ。少名針妙丸も堅いお椀に乗り込んで登場している)ため包帯を用いた場合は『茨歌仙』で見られたように「手」の形状のまま直接握るのではなく相手を包帯で包みこんで振り回したり圧縮したりするものとなっている。同作における華扇のスペルカードである<包符「義腕プロテウス」>や<龍符「ドラゴンズグロウル」>が象徴的である。
一方、右手と「猿の手」を併用した各種アクションでは掌の形状を生かした「握る」というアクションが起点となった攻撃もあり、「グチサァ」の観点から見る時、「右手で握る」という『茨歌仙』でのシーンが思い起こされるものとなっている。