概要
1970年の大阪万博開催に伴う輸送力増強、および特急ネットワーク強化のため18200系の改良増備車として1969年から72年にかけて2両編成10本、合計20両が製造された。
製造当時、京都線と奈良線は大型車の入線を可能とするための改良工事を終えていたが、橿原線の改良工事が終わっていなかったため全長は20m級に延伸しながらも、車幅は橿原線の限界に対応するため、他の標準軌汎用特急車よりも13cm狭い幅2,670mmの車体として製造された。
デザイン・車内設備は12000系・12200系「スナックカー」に準じており、座席は偏心式回転リクライニングシートとしている。リクライニングシート設置のため、側面鋼体は標準的な厚さ70mmから50mmへと削られた。スナックコーナーはモ18400に設置されていたが、最終2編成はスナックコーナーを廃止して代わりに車内販売基地を設置している。非公式な愛称としてミニスナックカーと名付けられ、後にこの愛称は公認のものとなっている。
1973年9月に橿原線の建築限界が拡大されると、車体が狭い意味がなくなってしまい、後継の特急車の増備に伴い順次運用を離脱。第9編成・18409Fが団体専用車両「あおぞらII」の増結用車両に転用された他は廃車・解体となった。2000年8月に行なわれたさよなら運転で使用された第8編成・18408Fの退役をもって近鉄特急運用は終了。
廃車時に発生した制御装置は一部が30000系「ビスタカー」に転用されている。
最後まで残った第9編成・18409Fは、団体専用車両「あおぞらII」用として2013年まで残存。12200系「スナックカー」改造の15200系追加増備によって退役となった。引退に際してはかつての特急色に復元され、特急標識も掲げていた。
第9編成は廃車後、先頭部だけがカットボディとして高安検車区で保管されている。カットボディとはいえ、静態保存されない事が多い近鉄の車両としては貴重なケースである。なお、高安にはステンレス車3000系のカットボディもある。