誕生の経緯
野田線では旧型車の足回りを再利用し、車体を新造した3000系が活躍していた。3000系は車体こそ8000系に準じていたものの、足回りは釣掛駆動の旧式電車そのもの。機器の老朽化や性能面で難があったため、新車を投入することとなったのだが、野田線は利益率が伊勢崎線・東上線に比べて低く、純粋な新車を投入するのは大きな負担となる。そこで考え出されたウルトラCがこの2080系である。
種明かし
2080系は純粋な新車ではない。かと言って廃車車両の足回り流用車でもない。元になったのは地下鉄日比谷線直通用の2000系電車である。
2000系は登場時は4両編成。後に2両ずつ増結され、最終的に8両編成まで伸びた。この増結は新規に中間車を製造して行われ、8両化時に製造された中間車は比較的経年が浅く、これを廃車する編成からかき集めて運転台を取り付けて野田線に転用することとした。
まず廃車編成からモハ2550形・モハ2650形を1編成につき6両分ピックアップ。編成両端にあたる車両に運転台を取り付けて先頭車化。フロントマスクは20000系に準じているが、貫通扉が存在しない。
次いで野田線の変電所容量に合わせて2両の電装機器を撤去して付随車化した。これにより編成内のMT比は4M2Tとなった。
改造に際して廃車順序の関係で2000系内で編成の組み換えが行われた。2110編成、2106編成の廃車で4両分の種車が確保できたが、これでは足りない。そこでまだ廃車予定が来ていなかった2113編成からモハ2563-モハ2663を外し、2106編成からモハ2356-モハ2256を組み込んだ。つまり、比較的新しい中間車から古い中間車へ差し替えを行った。
2080系改造に伴う組み換えはもう1回行われ、最終的に2編成が改造された。
運用開始後
2080系は2編成が七光台に配置され、野田線での運用を開始した。しかし元になった2000系は駅間が短く頻繁に加減速を繰り返す大都市区間で運用する事を前提としたセッティングとなっていたため、野田線のような駅間距離が長く、比較的高速運転を行うような運用はイレギュラーであった。更に変電所容量の関係で電装解除を行った事も電気機器に高負荷を強いることとなり故障が頻発。
しかもフロントマスクは当時最新鋭だった20000系列に合わせていたのに冷房改造を行わなかったことで利用客からの不満が頻出。結局、改造から4年程度で野田線を追われることとなってしまった。
野田線からの撤退後は、編成を短縮して支線区に転用することを検討していたが、これは結局実現せず全車両が解体された。
そして時は流れ…
2000系を置き換えた20000系も日比谷線の車種統一の為、2017年より70000系に置き換えられることになり、余剰となった20000系は先代2000系と同様に栃木県北部の支線区に転用されることとなり、2018年9月より運行を開始している。