概要
50セントというMCネームは、1980年代にニューヨークのブルックリン界隈で30人あまりを殺害し、たった50セントでさえも奪ったとされる実在のギャング、ケルビン“50セント”マーティン(Kelvin "50 Cent" Martin)に由来する。
ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ区ジャマイカ地区出身。左利き。
母親はドラッグ・ディーラーで、彼を15歳の時に生んだ後、彼が8歳の時に何者かに殺害された。父親はおらず、その後は祖父母に育てられた。12歳の時に麻薬売買を始め、ドラッグディーラーとして名を馳せた。1996年、友人の紹介によりRun-D.M.C.のジャム・マスター・ジェイ主催のレーベルJMJと契約し、ラップの基礎を学ぶ。
1999年にはトラックマスターズに見いだされコロムビア・レコードと契約した。シングル『How To Rob』では、駆け出しのラッパーが有名なラッパーからいろいろなものを奪っていくという内容が大いに受け、またその曲にジェイ・Z、ビッグ・パンなどといった著名ラッパーが反応した為にそこそこのヒットとなる。
2000年に祖母宅前で9発の銃弾を被弾する銃撃事件に巻き込まれたことから、レコード会社がトラブルを恐れ彼との契約を解除し、アルバム『Power Of The Dollar』はお蔵入りとなってしまう。なお、この銃撃事件で、彼は顔にも銃撃を受け、その影響でその後声質が変わっている。
50セントは、この事件がきっかけでアメリカのレコード会社のブラックリストに載ってしまい、アメリカでは仕事が見つけられなくなってしまった。
エミネムの目にとまり、彼のレーベル、シェイディ・レコード(Shady Records)とドクター・ドレーのレーベル、アフターマス・エンターテインメント(Aftermath Entertainment)との共同契約を果たす。その後すぐにミックスCD『No Mercy, No Fear』を発表。その中に収録された「ワンクスタ」がラジオでヘビープレイされ、ストリートの支持を獲得。満を持して1stアルバム『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』をリリース。「イン・ダ・クラブ」、「21クエスチョンズ feat. ネイト・ドッグ」等がヒットし1100万枚ものセールスを記録する。また第46回グラミー賞において、最優秀新人賞を含む5部門にノミネートされた。