ガンシップ開発計画
1964年、テイルチェイサー計画において、C-131輸送機(民間名:コンベア240)を改造してミニガンを横向きに固定し、左に大きくバンクをつけて旋回しつづける要領で対地掃射を行う方法が確立された。空軍システム軍団はこれは対暴動任務に差し向けるのが有効だと考え、C-47やC-123を基に改造できないかと検討を始めた。
同年秋には実験班のもとにC-47Dが寄こされ、この貨物室に窓と同じ高さになるよう櫓を組み、SUU-11/Aガンポッドを3基取り付けて、トリガーはコクピットから遠隔操作できるようにした。
12月にはこうして改造された2機とともに南ベトナムに派遣され、「FC-47」と新たに型番の振られた改造機は「パフ」とのコールサインを頂いて、対ゲリラ戦に投入されることになった。
ゲリラ兵との切っても切れない関係
闇夜の龍
目覚ましい最初の活躍は、1964年12月23~24日の夜、メコンデルタのトランイェン前哨基地に対し、37分間の火力支援を行った事例である。このとき合計約4500発分の掃射を行い、ベトコン側は攻勢を中止して撤退した。この後、続いて約30km離れたトランハン基地からも支援要請を受けて急行し、こちらも阻止に成功している。
また、1965年2月8日にはベトナム中部のボンソン高原地帯でのベトコン攻勢にも対応して出撃した。こちらは4時間以上にも渡って滞空し、高地上に陣取ったベトコン兵に約20500発を見舞っている。
テスト結果集計
4500発はミニガン(SUU-11/A)3挺にして15秒分の掃射にあたる。
このわずか15秒の掃射で、ベトコン兵はまるで龍の唸りのごとき轟音(=R1830エンジン双発)、闇夜の中空より降り注ぐ無数の火球(=ミニガン射撃3挺分)に恐れをなし、完全に闘志を挫かれて我先に逃げ散ってしまったのだ。
期間中16回の出撃の結果、「ガンシップ機の投入は非常に効果的である」との結論に至った。
日本では島津家が「心こそ 軍する身の 命なれ 揃ふれば生き 揃はねば死す」(日新公いろは歌)との教訓を伝えているが、ガンシップ機はまさにこの心を打ち砕き、敵を敗走させたのである。
幽霊戦隊、出撃せよ!
これを受けて1865年7月、アメリカ空軍総司令部は戦術空軍に向けてAC-47(当時はFC-47)飛行隊の編成を指示し、11月には計5機により第4特殊作戦航空隊での活動が始まった。同月14日に16機+予備4機をもってタンソンニュット基地に展開した部隊は、「スプーキー」とのコールサインで活動を開始している。
1966年3月には北部のナトラング基地に移動し、新たに活動を始めた第14航空団の傘下に加わった。4月5日にもう一つのAC-47飛行隊が編成され、8月になると両飛行隊とも特殊作戦飛行隊に加えられた。AC-47飛行隊は主に南ベトナムで作戦し、夜ごとに幽霊よろしく「徘徊」することになる。1968年の「ナイアガラ作戦」ことケサン攻防戦でも、2か月半に渡って戦場に留まり、夜ごと目を光らせ続けた戦歴がある。
「空飛ぶオバケ」について
機体概要
C-47Dを改造し、試作機ではガンポッドを仮設し、その後の追加改造機ではMXU-470/A(エマーソンエレクトリック製造版GAU-2B/A)が適用された。発射速度はどちらも分間6000発。また12.7㎜AN/M2機関銃10挺もテストされたが、こちらは発射煙が激しすぎて機内にも充満しかけた事から中止されている。そういえばミニガン3挺も貨物扉直前と、かなり後ろ寄りに取り付けられているので、発射煙が激しい事にはあまり変わらなかったのかもしれない。
射撃の際は高度3000ft(約900m)を120ノット(約220km/h)で、コンパスの要領で目標を中心に左旋回しながら、一度に10秒程度の連射を加える。弾薬はミニガン用7.62mm弾を通常24000発、周囲を明るく照らし出すための照明弾を45発搭載。照準器には操縦席左側に取り付けられ、もっぱら5発に1発混ぜた曳光弾の軌跡を見て調整しながら射撃した。もちろん輸送機あがりなので燃料もかなり搭載しており、支援が要らなくなるか、夜が明けるまで滞空していられる。
もちろん、夜が明けてしまえば時代遅れのオンボロ輸送機には変わらないので、戦闘機に見つかったらひとたまりもない。夜間は特に脆弱なベトナム空軍につけ込んだ、夜間限定の「守り神」であるが、ベトコン側がスパイ網を駆使し、正体が知れてしまうと損害も出始める。今度は広く高射砲の配備を進めることになるのである。この高射砲には第二次世界大戦時の中古品が流入するのだが、この対抗のためAC-130(ガンシップ2世計画)や、AC-119(ガンシップ3世計画)が後に続くのだった。
生産と損害とその後
最終的に53機が改造された。
ベトナムには内41機が派遣され、損害は全部で19機。12機が戦闘中に失われた。
全改造機の半分を喪失し、内3分の2を戦闘中に失った事実は、夜間に低空を飛ぶ作戦の危険度の高さを物語っている。攻撃時の飛行高度も1000mほどなので、山間部ではとくに困難が増したことだろう。照明弾を搭載しているくらいなので、おそらく暗視装置の類もないものと思われる。
暗視装置に関しては続くAC-130Aでも色々と検討され、専任のサーチライト照射機(RC-130S)も製作されてテストされたが、結局は自前で暗視装置を持つほうが有効とされて、とくにH型以降は様々な対地センサーを搭載することになった。
また、「ガンシップ」は絶大な攻撃力を持つ反面、飛行高度も1000m程度なので敵の各種対空砲も十分届きうる高さであり、攻撃中はろくに回避行動も取れないので脆弱な存在でもある。ベトナム戦争中でも高射砲による複数の被撃墜を記録しており、以降は主力火器も7.62mm「ミニガン」⇒20mm「バルカン」⇒25mm「イコライザー」⇒30mm「ブッシュマスター」と、現在も射程が増し続けていく傾向にある。
コールサイン
轟音とともに現れ(実際には見えないが)、空から地上に降り注ぐ曳光弾の雨を竜(龍orドラゴン)に例え、また当時流行った歌「パフ・ザ・マジックドラゴン(1963)」にも準えて『パフ(Puff)』と呼ばれる。
または闇夜に現れ、味方に付きまとうさまを幽霊(というより子供の言うような「オバケ」の意に近い)に例えて「スプーキー(Spooky)」とも呼ばれる。一説にはこのスプーキー、この機を一目見たパイロットの、
『なんだこりゃ、ひどいオンボロじゃないか!こんなのが『秘密兵器』?よせやいウソだい冗談言うない、これじゃ納骨堂から化けて出たホネ骨オバケじゃないか!」(意訳)
という風な感想が由来だとも言われている。
FC-47と戦闘機やくざの攻防
こうしてFC-47は実績を積み上げ、制式化されることになったのだが、いざという段になって戦闘機派閥の反対に遭ってしまった。『Fは戦闘機の符号!こんなオンボロには似つかわしくない!』そこで元は飛行点検機に割り振られていた「AC-47」を貰い、元の点検機を「EC-47」に振りなおすことで一件落着となったが、機体の概要に関しては以上のとおりなので、結果的にはむしろ腑に落ちるものになったといえるだろう。
その他の「スプーキー」
旧式で能力そのものも低かったが、夜の闇に紛れた歩兵強襲には有効な対抗策でもあった。
基になったC-47は世界中で普及した機なので、制式な機でなくとも、独自に同様の改造を施して「ガンシップ」化した例もある。
詳細不明なため下記には含めていないが、ラオス、カンボジア、南アフリカ、ローデシア、台湾でもC-47ないしBT-67から同様の機を製作し、運用したようだ。
カンボジア
2006年、コロンビアから購入した5機のバスラーBT-67(エンジンをターボプロップに換装したDC-3の改造機)に赤外線暗視装置と12.7mm機銃GAU-19/Aを搭載し、国内の反政府組織対策に投入している。この他爆弾を搭載する能力があるほか、現在ではさらに1機がフランス製20mm機銃M621と思われる武装を追加している。
インドネシア
1970年代には元民間DC-3を改造し、12.7㎜機銃を3挺搭載して「ガンシップ」として運用。1975年までに東ティモールで実戦投入された。その後の退役時期は不明。
ベトナム(北ベトナム)
カンボジア侵攻で元南ベトナム空軍所属AC-47、あるいは同様の改造機を実戦投入。
エルサルバドル
1984年12月~1985年1月にかけて2機のAC-47が放出され、元々C-47ユーザーだった同空軍ではすぐに扱いこなされるようになった。エルサルバドル空軍造兵廠も「最も効果的な兵器だった」と上々の評価であり、のちに同様の機が独自に製作されたといわれている。12.7㎜機銃3挺装備。