概要
AEM-7とは1978年から1988年までにアメリカの機関車製造で有名なGM-EMDとスウェーデンの電機メーカーのASEA(現:ABB)の合同で65両が製造された4動軸の交流電気機関車である。アメリカの代表的な旅客鉄道であるアムトラック、メリーランド州の通勤鉄道であるMARC、ペンシルベニア州フィラデルフィアの通勤鉄道であるSEPTAの3社が導入した。
導入まで
1970年代のアメリカのアムトラックでは、前身のペン・セントラル鉄道のさらに前身のペンシルバニア鉄道から引き継いだ名機GG-1の老朽化に頭を悩ませていた。
そこでGG-1をゼネラル・エレクトリック製のE60型で置き換えようとしたが、このE60は高速走行時の安定性に難があり、速度制限を課せられるなどGG-1の置き換え計画に支障が生じた。(なおE60は元々下客両用機関車であり、メキシコや火力発電所用の貨物鉄道においては問題なく運用された。※ただしメキシコの電気鉄道はE60の製造後すぐに終焉を迎えたのだが。)
GG-1を置き換えるに値する電気機関車をまた新たに作る必要が出てきたアムトラックは完全旅客用電気機関車を発注することとしたが、旅客用電気機関車を製造するアメリカの鉄道車両メーカーはもう既に存在しなかった。そのため海外のメーカーと提携をして、ベース機にアレンジを加えて製造することにした。
他始めに高速電気機関車の実績があったスウェーデンとフランスから機関車を借りて、アメリカで走行出来るベース機を探すことにした。
スウェーデン国鉄からのASEA製のRc4型#1166をアムトラックではX995号とし、フランス国鉄からのアルストム製のCC21000型#21003をX996号としてそれぞれ借りて改造をして実際に運用した。
結果Rc4型は好成績を収め、ベース機として選定された。(2台の機関車は各々元の国に返却した。)
運用
製造は元々のベース機Rc4と同じASEAと、アメリカの大手機関車メーカーとなったGM-EMDが担当した。
EMDは電気機関車の製造実績はほとんどないため、数少ないEMDの電気機関車製造例である。
いざ作って運用してみると、4動軸の小柄な車体の割に6動軸のE60やGG-1をも超える性能で信頼性も高く使いやすい機関車であった。
それゆえ当初の目的であるGG1の置き換えたりE60の一部を通勤鉄道や火力発電所の石炭輸送鉄道へ売却したり追加発注を獲得したり、SEPTAとMARCでも発注されるなどの大成功を収めた。
さらには長らく信頼性がなかった電車のメトロライナーを客車牽引で置き換えた。
運用終了
1999年には一部の機体にアムトラックとアルストムの手によって改修工事を施したりして活躍してきたが2010年ごろには本格的な置き換えが開始され、シーメンス製のACS-64に順次置き換えられていった。
2016年にはアムトラックから全車が退役、追って2017年にMARCの機体がシーメンス製のディーゼル機関車に置き換えられ、さらに2018年にはアムトラックと同じくACS-64によってSEPTAの車両も置換されて営業運転を終了した。
SEPTAはその後も秋の落ち葉掃き列車の牽引機として一部が使用されたが、2022年ごろに全車が退役した。
アムトラック所属の一部車両が保存されたが、2018年に留置されていた元アムトラックのAEM-7の2機が突如西海岸のサンフランシスコの通勤鉄道Caltrainに売却されて、新規電化区間の試験用として使用された。(なお売却後に新しい塗装を纏ったのは確認されているが、自走した映像や写真はなく、本当に目的通り使われたのか、電化区間の営業を開始した現在では今後どうなるのかは不明)
現在、AEM-7は運行されていないが、元々のRc4型は現在でもスウェーデンにて活躍中である。
同型機
実は本形式の製造終了の翌年から1997年にかけて全く同じ形をした電気機関車がニュージャージートランジット(NJT)とSEPTAに納入された。
その名もABB ALP-44型である。ABBはASEAがブラウン・ボベリと合併した会社である。
外観はAEM-7と似ている。
2011年ごろをもってNJTから引退し(当初更新予定だったが新車導入の方が安かったとされている。)SEPTAの機体も営業運転を2018年に終了、工事列車としての役割も2022年ごろに終了したため、保存機を除いて解体されると思われる。