夢が実現するかどうかは、やってみないと分からない。
クリスティアン・フォン・ケーニグセグの想い
ケーニグセグ(Koenigsegg)創業者であり現CEOのクリスティアン・フォン・ケーニグセグ(Christian Von Koenigsegg)がCCシリーズの原点であるCCプロトタイプの設計/製造をしていた頃からレース参戦への強い想いを秘めていた。その想いの実現に向けクリスチャンはACO(フランス西部自動車クラブ。欧州のレースイベントを主催する組織)のル・マン規則を研究し、当時、世界の関心を集めていたGT1クラスに適合する車両を造ることを決意した。その結果誕生したのがこのCCGTである。
ケーニグセグの挑戦
当時のル・マンのレギュレーションでは、車幅が2000mm(=2m)以上かつ運転席は少なくとも車幅の70%以上の大きさを持つものと定められていた。その為ベース車両の開発から始まり、基準値を正確に測定しこれに基づいたデザイン設計が施された。
CCGTは、当時の量産車(CC8SとかCCRとか)を生産する傍らに進められていたサイドプロジェクトであった事から、最初のプロトタイプが完成するまでには、数年の月日が費やされた。ベースはCCRだがヘッドライトなどの小型の部品類はCCRの後継であるCCXに装備されたパーツが装着された。(手抜き等ではなくレギュレーションやら何やらの問題だと考えられる。)
その結果、車重は1000kg以下、強靭な車体剛性、ダウンフォース発生量は600kg、驚愕の600hp(ps換算で608ps)を誇る自然吸気エンジン搭載のGTマシンが爆誕したのであった。
CCGTをテストした数少ないドライバーは"夢の様なハンドリングである”と高く評価しており、初めての挑戦にもかかわらず十分な競争力を備えていた事に間違いはない。
叶わなかった想い
ケーニグセグが順調にシェイクダウンを終えた僅か2ヶ月後、ACOとFIAはGT1クラスのレギュレーションを変更。カーボンモノコックが禁止となった事と、レースに参戦する為の条件である、参戦するマシンの市販モデル(いわゆるホモロゲーションモデル)の生産台数の最低条件が20台/年から350台/年へと大幅に引き上げられた事が影響し、やむを得ずこのプロジェクトに終止符が打たれたのである。
ただでさえ当時のケーニグセグは少数台の生産にとどまっていたのだがこの変更を受け残念ながらレース参戦は果たせなかった。しかしながら、新たな挑戦の中から誕生した夢と情熱が詰まったケーニグセグ史上初のGTモデル─その魅力的なエキゾーストノートはひとつの大きな特徴となっている。
スペック
エンジン | ケーニグセグ製5L V8 NAエンジン |
最高出力 | 600馬力オーバー |
車重(乾燥重量) | 1100kg(バラスト搭載時) |
トランスミッション | シーケンシャルミッション |
クラッチ | デュアルクラッチ(ツインプレートクラッチ) |
関連タグ
CCGTに直接関係があるケーニグセグの車: