概要
本モデルはイギリスのマクラーレン・カーズ(現マクラーレン・オートモーティブ)が1992年から1998年にかけて製造したスーパーカーである。チーフデザイナーは元F1のデザイナーであったゴードン・マーレーで車両中央に運転席が配置された独特な形状を採用している。生産台数は106台。
1995年にはル・マン24時間耐久レースにて優勝を成し遂げた。
1998年のテスト走行では最高速度391km/hを達成した。
バリエーション
プロトタイプ
XP1からXP5の5台が作られた。
ノーマルモデル
1993年から1998年の間に合計で64台が製造された。
LM
ル・マン24時間レースの優勝を記念して計6台が製造された。
GT
GTR型のGT1ホモロゲーション取得のため3台が製造された市販仕様。
GTR
GT1レギュレーションに適合するよう全面改修されたレース専用仕様。
市販車との違いとしては、ロールケージや消火器などの安全装備のほか、ノーズとサイドにはエアインテークなどのフロントスプリッターや大型のリアウイングなどのエアロパーツが追加。ブレーキはカーボンブレーキに変更されサスペンションへのアルミ二ウム製強化ブッシュなどに換装。エンジンはレースでの吸気制限に対応した仕様となっていた。
レース参戦に至った経緯
1993年にレース規定が変更されレース専用車であるグループCカーに代わって高性能な市販スポーツカーをベースとしたGTカーによるカテゴリー規定が導入されると、基本性能の優秀な本車に注目した一部のプライベーターからF1でGTレースに参戦したいという要望が上がったが開発を主導したゴードン・マレーはF1を競技用として設計しておらず、信頼性および性能の点から当初はレース参戦に否定的であり、マクラーレンカーズもレース専用仕様の発売には積極的ではなかった。
しかし、レーシングドライバーのレイ・ベルム、レーシングドライバーであり銀行家のトーマス・ブシャーらがマクラーレンにアプローチしたことをきっかけにマクラーレンカーズ社内で検討が始まり最終的にレース仕様の開発&リリースが決定、1995年1月、GT1レギュレーションに適合するレース仕様車であるF1 GTRを発表する。
ただし、元々F1はレーシングカーの技術を使った設計開発、素材の使用をしているため、レーシングカーそのものへ転用することは困難ではなかったものの根本がレースを視野に入れたものではなく公道走行時の快適性を重視して強度を意図的に抑え柔らかめにすることで頑強さより衝撃を受け流すしなやかさを持たせたものだったことから各部の強度が若干不足気味であり特にモノコックは慢性的に剛性不足の問題を抱えていた。
余談
本車のデザイナーであるゴードン・マーレーがマクラーレンに加入したのはそもそも本車を開発するのが目的であった。
もともと、マーレーにとってはF1は単なる通過点であり 最終的には 市販スポーツカーの設計をしたいという夢をもっておりマクラーレンから移籍のオファーを受けた際にもロン・デニス代表にそれを伝え、ロンもその夢の実現への協力を快諾したため移籍を決めている。
実際、マーレーはマクラーレン加入後3年間はテクニカルディレクターとしてF1活動に全力で取り組み連続チャンピオン獲得に大きく貢献、それを置き土産にF1を卒業し市販車部門への移籍を果たしている。(F1でののキャリアが20年になるので、それ以後はF1以外の新しいプロジェクトを用意してほしい。でなければその時点でマクラーレンを離れると思う』という意向をロンに伝えていたという。)
後継モデル
2013年、マクラーレン P1が発表された。
2018年にはマクラーレン スピードテール(Speedtail)が発表された。
ゴードン・マレー・オートモーティブ(GMA)からは2020年にT.50が発表された。
関連タグ
P1(マクラーレン)→事実上のF1の後継