1979年3月、発売。
プラットフォームはB310型サニーやA10型バイオレットと共通。ボディタイプはハードトップと呼ばれたノッチバッククーペに加え、ハッチを持つ3ドアファストバックが追加された。なお3ドアファストバックには大型バンパーおよび日本初のフロントシングルアームワイパーが全てのグレードに標準で装備されていた。角型4灯式ヘッドライトやセンターピラーレス・ボディ(ハードトップのみ)等当時の流行を押さえたデザインのため、月4000台を上回る販売台数を記録するヒット作となった。
先代の輸出仕様車である初代200SXの手応えから、さらにアメニティーに振ったコンセプトとなり、日本初のドライブコンピューターをはじめ、ダッシュボード上の横一杯に並んだワーニングランプやフェードアウトする足元灯など、アメリカ車並みのムーディーな室内イルミネーションを採用。なお、米国仕様車の名称は200SXを継承している。
グレードは当初、1800ccのZ18型を搭載したLS(インジェクション仕様はLSE-L/LSE-X)、2000ccのZ20型を搭載したZS(インジェクション仕様はZSE-X)の2種が設定され、のちのマイナーチェンジでZ18ET型を搭載したターボZSE/ZSE-X、FJ20E型を搭載したRS/RSエクストラが追加設定された。これはR30型スカイラインRS用に開発されたDOHCエンジンである。
1982年には、S110型シルビアをベースにWRCのグループB・ホモロゲーションモデルとして、2400ccのFJ24型エンジンを搭載し、角ばったオーバーフェンダーを追加、225/50R16タイヤを標準装備する日産・240RSが登場している。また、このモデルと次のS12型(前期型)にはモーター店の取扱車種として姉妹車のガゼールが設定された。
1982年、生産拠点を九州工場へ移す。
この年の第30回サファリラリーでは、LZ20B型(215ps)を搭載したグループ4仕様車が総合3位を獲得した(ただし優勝は日産の別の車に奪われてしまったが)。
1983年、S12型へのモデルチェンジに伴い生産終了。
米国向け200SXのほかにメキシコ向けにはSAKURAのネーミングで売られていた。