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Mi-24の編集履歴

2014-03-18 19:14:57 バージョン

Mi-24

みーどゔぁーっつぁちちとぅーりぇ

ソビエト初めての戦闘ヘリ。輸送ヘリのMi-8をベースに開発されている。攻撃能力と輸送能力を両方備えており、このような機は『強襲ヘリコプター』として知られている。

『空飛ぶ装甲車』

このMi-24はソビエト流電撃戦のために開発された。

戦車のように歩兵を同乗させ、

戦場を奥深くまで切り開く『空飛ぶタンクデサントである。

歩兵8名が同乗できる兵員室があり、機銃掃射の後に着陸して歩兵を展開させられる。

(というか、他に用途が考えられない)


アメリカAH-1コブラ』を参考にしながら開発され、そこへソビエト独自の考え方を導入している。

それが上記の『空飛ぶタンクデサント』であり、そのために装甲車顔負けの装甲を施している。


愛称は「Крокодилクラカヂール(クロコダイル)」。

NATOコードネームは「ハインド(雌赤鹿)」。


開発について

開発は1968年より開始され、1970年には評価試験用の機体(Mi-24)が完成している。

このMi-24や量産型のMi-24A(ハインドA)は基になったMi-8の特徴を残しており、コクピットは3名乗りの防弾ガラス張りである。


しかしこのコクピットは防弾性能で不安があり、(ガラス面積が広かった)

1972年に登場したMi-24D(ハインドD)では2人乗りの縦列配置の完全防弾コクピットとなって解決された。

Mi-24Dは新しく可動式の12.7mm機銃を装備しており、対地センサーも追加されている。

同年、システムが更新され、誘導ミサイルが使えるMi-24Vも登場。


1974年には可動式機銃を対地攻撃用の30㎜機銃(固定式)に換装したMi-24P(ハインドE)が登場した。

1986年には新型のターレットに23mm連装機関砲を積んだMi-24VP(ハインドF)が登場している。

輸出用に「格下げ」された型はMi-25(Mi-24VはMi-35)と呼ばれ、軽量化を兼ねて車輪が固定式にされている。

本家のMi-24共々、現在でも現役である。


余談ながら、Mi-24DのNATOコードネームがハインドDと偶然にも共にDを使っている為か、ハインドE(Mi-24P)やハインドF(Mi-24VP)の名称からMi-24EやMi-24Fと誤認して呼ぶ事もある。


装甲車の有効性

強襲ヘリとしてアフガン侵攻でも使われたMi-24だったが、肝心の能力については不満が残った。

原因は輸送ヘリ戦闘ヘリを兼ねようとした事である。

輸送ヘリとしてはムダが多く、戦闘ヘリとしては大き過ぎて目標になり易かったのだ。


結果として『戦闘ヘリは専用の機体の方がいい』とされ、

後継のMi-28Ka-50では輸送能力をもたないようになっている。


それでも一応・・・

なおMi-28に輸送能力は無いが、点検整備用ハッチの奥に2~3名搭乗できるスペースがあり、他のヘリの搭乗員等を救出した際に使えるという。

この方式なら、その後に航行速度の制限も殆どされず、無理な機動をしても機から振り落とされない利点がある。


ただし、入るときにはエンジンの排熱を浴びるし、中はかなり窮屈で、本当に「外よりはマシ」という程度である。

だがAH-64AH-1等でコレをやろうとすると、それこそ外にしがみ付くしか無いので安全性では有利である。

アメリカ陸軍では地上部隊の負傷者の輸送の際に負傷者をAH-64ガンナー席に座らせ、ガンナーは機外のスタブウィングにしがみつくという事を行っているが、これは後方への輸送であり、安全が確認された地域で行われた事である。(ちなみに負傷者の出た部隊とAH-64の部隊は無関係で、通りすがりのAH-64が救援無線を聞いて駆けつけた模様)

イギリス軍の場合はアフガニスタンで1機のAH.1に4人乗り(うち2人は機外のサイドウィングに搭乗)でタリバン基地を襲撃し、行方不明になっていた海兵隊員の遺体を回収するという事も行った。

......まあ、あの国はしょうがない。


装甲車の脅威

しかし、Mi-24の脅威は凄まじいものがあった。

アフガン侵攻(1978)ではMI6CIAアフガニスタンゲリラ(民兵)に携行型地対空ミサイルを供与した。

(このゲリラの一部が後年「アルカイダ」に発展するのだが、それはまた別の話である)

それほどまでに恐ろしい存在であり、実際に恐れられていたのだ。


対空機関砲といったろくな対空火器は無く、小銃の弾丸は跳ね返し、手元の武器では立ち向かう術が無いのである。

その間にもMi-24はロケット弾を発射し、機銃掃射でみな次々と殺されていく。

それほどまでの脅威だったのだ。

CIAMI6としてはソビエトの足を引っ張る程度で供与したのだろうが、これは大きな助けとなった。

ゲリラは地の利の生かし、場合によっては「ヘリコプターの上から」攻撃したのだ。(山の頂上から撃ち下ろした)


この戦争でMi-24の弱点も明らかになった。

それはエンジンが隣り合っているせいで、片方が爆発するともう片方も被害を受けるのだ。

この配置は原型のMi-8から受け継がれたものであり、変更はできなかった。

とりあえずの暫定策としては、エンジン間に防弾版を追加することで対処したが、後継機では機体を挟んで配置するようにしている。


とにかく、このMi-24の実戦投入で戦闘ヘリの理想形が明らかになった。

それは奇しくもアメリカと同じようなものであった。


供与されたミサイル

最初はイギリスより「ブローパイプ」、

のちにCIAより「FIM-43 レッドアイ」や「FIM-92 スティンガー」(当時最新鋭)が供与された。

いずれも携帯型の地対空ミサイル(MANPADS)である。


ブローパイプ携帯地対空ミサイル

1975年にイギリスが制式採用した初期のMANPADS(MAN-Portable Air-Defense Systems:携帯式地対空ミサイルシステム)。

誘導装置には「SACLOS(Semi-Automatic Command to Line Of Sight:半自動照準一致誘導システム)」が採用されていたが、命中には職人技が求められた。


実態は「無線操縦ミサイル」のようなもので、本国の兵士さえ持てあますほど複雑だったのでゲリラには使いこなせなかった。

(当然の事である)

結局CIAが「スティンガー」を供与し、その後ブローパイプも10年で生産終了となった。

誘導装置の不備が決定的だったのである。


のちにフォークランド紛争イギリス自身が実戦に投入した。

一応11機撃墜(2機は不確実)した事になっているが、それはプカラ相手に、しかも「総合で百数発」とも言われる数を発射してようやく挙げられた戦果である。

もしくは発射した兵士が職人ぞろいだったのかもしれない。

一応は歩兵が地対空ミサイルを携行しているという威圧は与えることは出来たようだが。


イギリス自身も対空火器としては微妙というのは理解していたのか、「ミラン(対戦車ミサイル)のように敵陣地に撃ち込んだ」という話もあるほど。

結局イギリスでも「スティンガー」の便利さに負けて姿を消した。

後継としてジャベリンが開発され、こちらもアフガニスタンでムジャヒディンに供与された。


誘導方式に関しては擁護する事はできる。

SACLOSを採用した誘導兵器はBGM-71 TOWやミランなど、それなりに見られた。

しかし、ある程度の速度で移動する目標に対し使用する上に歩兵が担ぎ運用するMANPADSではこのような誘導方式では発射機自体の重量や射撃姿勢等の問題から正確な誘導は難しく、多くは重量のある発射機を車両や地面などに固定し、移動速度が遅いか固定された目標に対し使用するミサイルに採用された。


冷戦終結後の発展

冷戦終結後は後続機が登場したり、機器や兵装を更新した改良型が登場している。


Mi-24/35「Mk.IIIスーパーハインド」

南アフリカで開発された大幅な改修型で、新式の火器管制装置や航空電子機器(GPSなど)を搭載する。

GPSはアメリカ生まれで、かつての敵国の技術が使われているのである。

(Mi-24以外にもT-55T-72戦車などにもこのようなことが有る)

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