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生存説の編集履歴

2016-06-03 02:55:11 バージョン

生存説

せいぞんせつ

生存説とは既にこの世を去った人物が今でも生きていると囁かれる説。

概要

既にこの世を去っているが、いまだに何らかの理由で実は生きているとまことしやかに語られる噂の一種であり、対となるのは「死亡説」である。

死亡説と異なるのは生きている事を実証する事が困難であり、陰謀論都市伝説のカテゴリとして扱われる事が多い。


時に歴史上の人物において時期を限定した生存説もある。


生存説の一例

 衣川の戦いから源義経らが生存し、大陸に渡ってモンゴル帝国を築いたという説で、源流は江戸時代以前にまで遡れる由緒正しい(?)説である。

 他にも、北海道に渡り、アイヌ文化を伝えてカムイになったとも、満州に渡っての源流になったともいわれる。


 本能寺の変で信長の遺体が発見されなかった事から、本能寺の変の後も生きていたのではないかとされている説。


 山崎の合戦で敗れ、山科の山中で落ち武者狩りに遭ったとされているが、徳川家康に匿われ、天海坊として生き延びたという説も公開された。

 また、天海坊の正体には諸説あり、本能寺の変の主犯共々戦国ミステリーの題材になっている。


 大坂の陣で母・淀殿とともに自害したとされるが、実は大阪城を脱出し、九州に落ち延びたと言われている。


 源平合戦の壇の浦の戦いで祖母・二位尼とともに入水したとされるが、死なずにどこかに漂着して生き延びたとされ、平家落人伝説のひとつとなっている。終戦直後に続出した偽天皇のひとりも自分は生き延びた安徳天皇の子孫だと自称した。


 西南戦争で敗れ自刃した西郷は生き延びて大陸に逃れたとされ、日露戦争直前には再び日本に戻ってくるという噂も広まっていた。


 彼の場合は死後の遺体の末路が不明瞭である事から、ベルリン陥落後も何らかの形で実は生き延びていたという説。


 日本軍の協力者として中国国民党軍に処刑されたが、実は処刑前に脱走し、一市民として生き延びたとされ、彼女の娘だと名乗るものもいた。


 ロシア革命で処刑されたニコライ2世の娘・アナスタシアは処刑されずに生き延びたとされ、その遺骨が見つかるまで20世紀の謎のひとつとして広まっていた。


※他にもご存知の生存説があれば追記願います。


関連タグ

死亡説 都市伝説 陰謀論

三浦建太郎:源義経生存説をベースに「王狼/王狼伝」を上梓。

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