この項目ではpixivで使用されている御城プロジェクトに登場する城娘の解説を行い、そののち使用されていない歴史上の城に関して解説する
城娘
御城プロジェクト
「汚らわしいわね、お姫様とお呼び!」
城娘界随一のドSである。これは島原の乱の原因となった事が起因していると思われるが、『かわいい城娘が描かれた絵』で絵踏みをさせたりと、なかなか精神的に来る事をなさる。一応本人は殿に気に入られたいようではあるので、きっといつかデレてくれるさ。
衣装は赤いボンテージをベースに、御嬢時には網タイツ、城娘時にはヒールブーツを着用する。槍が武器という事だが、実際戦闘で使うのは尻尾のように生えた瓦の鞭である。
近代改築(このゲームにおいてはレベルの上がった城娘を、資材を消費することで総合的な強化を行うシステムであり、別キャラクター扱いとなる)を介さない銀レアの中でも出にくい部類であり、築城報告もかなり少なかったとされる。
御城プロジェクト:RE
平水属性、★3。武器は前作の槍から弓へと変更された。
性格はリニューアル前と変更は無いが、外見は大きく変化。
黒色の派手な着物に鯱を模した髪飾りとブーツを着用し、破風を象った弓を携える。入手し辛かった前作とは打って変わり、今作では天下統一の比較的序盤のステージで確実に入手出来る様になったので、前作で城娘でも屈指のドSぶりを見られなかった殿もその女王様振りを見る事が可能となる。
実際の性能
御城プロジェクト
大多喜城や小諸城と並ぶ、いわゆる高火力槍である。最高攻撃340に速度は61、範囲は71とやや広い。更に平城である為、配置次第では広範囲に高火力の攻撃を万遍なく飛ばしてくれる。
このゲームの場合槍属性は扱いが難しく、安牌と言える立ち回り方が固定されていない為忌避されがちではあるが、この城娘の場合は平地にさえおけば様々な局面に対応可能であった。
必殺技『弾圧の鞭』は近距離の味方の攻撃力中UP。こちらはいざという時の火力増強に、計画的に使っていきたい。
性格の割にそれ以外は癖らしい癖はなく、比較的扱いやすい槍ではある。戦法次第では目覚ましい活躍をすることも。
御城プロジェクト:RE
武器種こそ変更されたものの、特技は自己攻撃力・攻撃速度15%アップという、殴りに特化した弓使い。攻撃範囲は最大化で426となり、弓使いとしての単独火力は高めなので加入から後方支援をさせるだけでもかなり役立つ。またアップデートにより弓が飛行敵に対し特攻効果を持つ様になったことや、改壱にて特技やステータスが補強された事も手伝い、中レア勢の弓使いの中では抜群の使い勝手を誇るようになった。
計略こそ無いが弓使いらしく最大化までの気コストはそれ程必要としない為、飛行敵の迎撃や前衛の後方支援にはかなり役立つ。ただ特に防御面が脆い為、無理はさせられない。
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城の概要
この城は別名、森岳城、高来城と呼ばれることがある。5層の天守閣を持ち、平城に分類される城であった。
城の一番高い建物であった天守閣からは雲仙普賢岳を拝め、有明海を一望できたとされ、復元された城からも見ることができるという。
- 歴史
肥前国島原は戦国時代においては有馬氏(キリシタン大名として有名であった有馬晴信およびその子孫、なお家自体は延岡、糸魚川、丸岡と転属はあったものも明治時代まで存続した)であったが、キリシタンの弾圧に嫌気がさし転属を申し出た。代わって封じられたのは松倉重政(当初筒井順慶に仕え、豊臣秀吉の家臣となったのち、徳川家康につき、五条二見城主となり、この地の大名となる。なお、徳川家にいい顔をしようとしてかキリシタンに過酷な弾圧を行ったり彼らの拠点であるフィリピンのルソンを攻略しようとしている)が、有馬氏の居城であった日野江城(高来郡有間庄に存在した城で、連郭式平山城、なお後に島原の乱の拠点となる原城とともに、石垣・空堀が確認できる程度である)は山の中にあり、手狭な城のため不便であるとして新たな城を築く事を決意。
約6年の年月を掛けて近世風の連郭式平城を完成させた。当時島原は4万石程度の小大名であったものの、城は立派な5層5重の白亜の天守と多数の櫓を備え、高い石垣を誇る頑強な城であった。
むろんこれは藩の規模を上回るモノだった(これは松倉重政が雲仙普賢岳が存在し農業に制限がかかる島原を火山の影響のない大和と同様に見たためのことであろうと推測される)。そのため、費用をねん出するために重政は苛酷な税の取り立てを行い、人々を苦しめた。更に度々噴火した雲仙普賢岳からの火山灰や溶岩流によって構成された土地での土木作業は難しく、労働に駆り出された人々の負担は大きかった。
さらに2代目である板倉勝家(松倉重政の長男、島原の乱を誘発したかどで斬首刑となった)も苛酷な統治を行い、限界を迎えた農民は反乱を起こした。そしてかつてこの地を治めていた有馬氏の浪人(主家を去る、あるいは失い俸禄を失った者)や弾圧されていたキリシタンと手を組み反乱を起こす(島原の乱)。島原の一揆勢は勢いに任せ島原城下に押し寄せ、城下町を焼き払い蔵から略奪を行った、一揆勢は堅牢な城を落とす事は意図せず、天草諸島(ここでは浪人がキリシタンと結びつき反乱が発生していた)の一揆勢と合流し廃城となっていた原城に立て籠もった。
島原の乱終結後、勝家は苛酷な統治の責任を取らされ当時としては異例である斬首刑(通常問題がある場合切腹となる可能性が高い)となり、板倉家は断絶した。その後は高力氏(高力忠房は荒廃した状況を立て直したものの、その長男である高力隆長は財政立て直しのため重税を課し、領民の訴えにより改易された)を初め幕府の譜代大名が藩主となり、島原城も藩政の拠点として廃藩置県まで使用された。
明治時代に廃城令が出され、肥前の場合陸軍が新たな拠点を作るため、この城は廃城となった。特に城を残そうという動きはなく、土地などは一般人にはらいさげられ、豪華な造りであった天守閣などの建物は取り壊されてしまい、本丸は畑に、三の丸には学校が建設された。
よって現存する遺構はや石垣、堀などしかなかったものの、昭和30年代以降、天守閣や建物の一部がコンクリートで復元された。城内には板倉氏時代のキリシタン弾圧・苛酷な税の取り立てや雲仙普賢岳の噴火による被害を伝える資料館が存在している。
関連項目
pixiv
pixivにおいては2015年現在、御城プロジェクトに登場する城娘の作品しか存在しない。