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爵位の編集履歴

2017-05-18 00:30:45 バージョン

爵位

しゃくい

貴族階級に代々受け継がれる称号のこと。

歴史的・学術的な爵位の解説は非常に込入って複雑なので、専門書等を参照のこと。

ここではざっくりと解説する。


爵位は、ありていに言えば貴族の肩書ないしは格付けである。現代日本人になじみの深い公侯伯子男の爵位は明治政府が当時の西欧の社会制度に倣って作ったものである。公侯伯子男という訳語は中国三国時代ころから使われている爵位から借用して西欧の爵位にあてはめたものである。


明治政府がモデルとした西欧の貴族は、封建領主すなわち土地の支配権を持つ集団から成立しており、土地の支配権としての肩書が爵位として定着していった。爵位間の格付けは、その称号を持った支配者が支配した土地の広さ、国王・皇帝との親密度に応じて決められていった。中世末期から近世にかけて定着していた爵位は以下のようなものである。


日本語英語中世欧州での存在感中世武士での似た地位
皇帝Emperor時代によって大きく異なる征夷大将軍
 King/Queen英仏は大きい、それ以外は公爵並征夷大将軍
大公Grand Duke(中世後期に細分化された爵位)(公爵に近い)
公爵Prince/Duke英以外では王と対抗できた室町の管領家(三管四職)
侯爵Marquess(ドイツ以外いない)(公爵に近い)
伯爵Count/Earl欧州全土にくまなくいた江戸の大名
子爵Viscount(ほとんどいない)江戸の高家旗本
男爵Baron欧州全土にくまなくいた100~1000石取りの旗本
準男爵etc.Baronet(英国のみ、売爵用)下級御家人

皇帝と王は、君臣を完全に分けて考えていたアジア的専制君主の発想から言えば臣下である貴族とは別種の存在だが、西欧の封建時代の貴族は日本の武士に近い土地支配者であり、征夷大将軍が武家に入るのと同じような感覚で貴族の中の上位としての扱いだった。


これらの爵位は、中世に実際の土地支配権を示していた時と、近世に単なる格付けになった時とで意味合いが異なることには注意が必要である。日本の華族では爵位は家格を示していたため公爵と同時に伯爵であるようなことはなかったが、中世ヨーロッパで実際の土地支配権を示していた場合にはそのようなことがあった。たとえば百年戦争の原因となったヘンリー2世は、イングランド王であると同時にフランスの地方領主であるアンジュー伯でもあった。日本の場合、室町時代に複数カ国の守護職を兼ねた武士がいた例と相同だと考えると理解しやすい。


元が土地の支配権を示す語であったため、基本的には爵位の前には(形骸化していたとしても形式的に)領地の地名を付け、合わせて一つの肩書となっていた。これについは、江戸時代の武家官位が、形骸化していたとは言え「○○守」のように土地の名前を冠していたことを考えると理解しやすい。ただ、中国では清代、日本では明治の華族に関しては、地名を付ける習慣さえ廃れ、公侯伯子男のみで貴族の格付けを示す称号となっている。


ヨーロッパ

ヨーロッパでは、古代ローマで元老院や要職を独占する貴族(パトリキ)はいたが、組織化された爵位のようなものはなかった。近代につながる爵位は、ほとんどが中世のゲルマン人が作った国における地方官や封建領主に由来する。


イギリスフランススペインでは百年戦争後、レコンキスタ終了後の15世紀ごろ、ドイツイタリアでは統一運動の起こる19世紀ごろに中央集権化が達成され、封建領主は実権を失っていき、貴族は国王の廷臣として議会の議席や公職を得る立場に変わっていき、爵位は単に貴族の格付けのみを示すのみに変容した。ただし、現在に至るまで爵位には領地の名前がセットになる慣習が継続しており、例えばイギリスの爵位の1つ「ヨーク公」というのは、ヨークという現在でもイギリスに存在する都市の土地を支配していたことに由来する。


日本や中国の爵位と異なる特色として、爵位を複数保持しセットで相続するのが当たり前で、男子には余った爵位を貸し出すという風習があることが挙げられる。イギリス国王が王太子にウェールズ公の爵位を貸し出すのもこの伝である。


中国

中国では~春秋時代には領地(封土)を与えられた封建的領主が存在したが、始皇帝が中央集権国家を作ると、封建領主の肩書は形骸化した。しかしその肩書を貴族の格付けに使う慣習は残った。実例を挙げれば、後漢の魏公曹操の唐国公李淵の衛国公李靖らがいる。唐から宋にかけて科挙が機能するようになると、血縁による恒久的貴族はなくなり、爵位は勲功にもとづく栄典に近くなった。この例としては、の荊国公王安石の魏国公徐達らがいる。清代には地名を付ける慣習もなくなった。


日本

1884年7月7日の「華族授爵ノ詔勅」にて成立した5つの称号のこと。この勅令により称号を授かった家を「華族」と呼んだ。日本において「爵位」としてイメージされるのは概ねこの華族である。華族制度は1947年5月3日、日本国憲法により廃止となった。現在、これらの家々は「旧華族」と呼ばれている。


歴史的には、平安貴族の摂家などから江戸幕府の譜代・外様などの家格が貴族の格付けであった。「形骸化して格付けのための肩書となった土地支配者の称号」としては、江戸時代の島津薩摩守・左近衛中将、藤堂和泉守、鳥居甲斐守といった武家官位が(兼職可能な点も含めて)近い。



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