Красная Армия.ソ連共産党軍
ソビエト社会主義共和国連邦が建国された際創設された軍隊の総称。
当初の正式名称は「労働者・農民赤色陸軍(Рабоче-крестьянская Красная армия, РККА)」。ロシア語の形容詞「赤い」は「赤の広場」の用法と同じく元来「美しい」の意味を持ち、単に共産主義思想だけでない肯定的なニュアンスを持つ言葉だった。
赤衛軍の軍事組織化をしたもので完璧な軍隊
中国軍(中国工農紅軍略称紅軍の流れを引く八路軍や新四軍、人民解放軍)は組織としてはまだ『共産党の軍隊』だろうからすこしソ連軍とニュアンスが異なる可能性がある(時代遅れかもしれぬが)。
軍隊の成り立ち
1917年、ロシア革命後のロシア国内においては内戦が続き、1918年にそれまで共産党の軍隊であった赤衛軍を元としてトロツキー指導の下で「労働者・農民赤軍」が創設された。この軍隊は省略して「赤軍」と呼ばれた。
1937年には海軍が赤軍から独立したのち、陸軍の呼称として使われた。
この軍隊は最初は志願制であり、将校も軍隊内の選挙で選ばれるという特殊な形式を維持していた。後に徴兵制に変わり職業軍人による将校制度(ただし政治将校、党が軍隊を統制する為に各部隊に派遣した将校であり、一般的な軍人とは系列が異なる存在があった)となったものの、1937年から1939年における大粛清(ヨシフ・スターリンによる主としてソビエト連邦共産党内部および国内における政治的弾圧。これにより50万人~700万人が死亡したとされる)の影響により有能な将校は粛清(残ったのは無能であるが忠誠心だけはある将校、あるいはその後出てきた若手など)されたうえ軍隊の近代化も遅れた。
その影響もあり大祖国戦争当初ではこの軍は150万人を要していたものの敗北が続き、国自体の存続が危うくなるレベルであった。
しかし軍需体制が戦地から離れた点にあったこと、連合国特にアメリカ合衆国の援助、さらに大量の増員により兵力が整い、ドイツ軍を追い返してベルリンにまで侵攻。極東方面でも、日ソ中立条約(1941年に日本とソ連の間に結ばれた中立条約、有効期間は5年であった)をヤルタ会談もあって一方的に破り満州・朝鮮・樺太へ侵攻。ドイツおよび日本の勢力範囲への侵攻においては現地女性への強姦を黙認しており多発した。この時には1000万人以上の人数であったとされる。
第二次世界大戦が終結後の1946年に「ソ連軍(ソビエト連邦軍)」として名称を改め、再編された。この時はすでに500万人になっていたとされる。
国外においては
日本やドイツなどの国内では冷戦時「赤軍」と名乗る共産主義過激派・テロ組織が暗躍し、日本で「赤軍」と言えばこちらの印象(例としては日本赤軍や連合赤軍など)が強い。西ドイツにおいてはドイツ赤軍と呼ばれる団体が1970年代(組織の結成は1968年であるが日本赤軍の影響を受けこの名称に1970年代に改めた)より1998年まで存在し、テロリズムを実施したとされる。
また冷戦時においても、ソ連軍や人民解放軍など共産国の軍隊を「赤軍」と呼ぶ場合が多かった。