井伊直親
いいなおちか
史実では
父親は「井伊直満」。
この時代の井伊家は今川家の傘下に置かれていた。
当時の井伊家当主であった「井伊直盛」には跡継ぎの男子がいなかったため、その娘(後の井伊直虎)を許嫁とし、直盛の婿養子となった後に井伊家を継ぐ、という事になっていた。
ところが小野政直の讒言により父:直満が今川義元に誅殺されると、まだ幼少であった直親は家臣に伴われて井伊谷を出奔し、武田領であった信濃国松源寺へと落ち延びる。
一説によるとこの時期に一男一女を設けたとされる。
それから約10年後に井伊谷への帰参が叶ったが、直盛の娘(後の直虎)は出家して尼僧となってしまっていたため、奥山家の娘と夫婦となり、二人の間に「虎松」、後の「井伊直政」を設ける。
「桶狭間の戦い」にて井伊直盛が討ち死にしたため、家督を継ぎ、井伊家当主となる。
しかし「今川義元の死」によって起こった「遠州錯乱」の最中、小野政直の子である小野道好(政次)の讒言により、主君である今川氏真から松平元康(徳川家康)への内通と謀反の疑いを掛けられる。
そしてその釈明と陳謝の為に駿府に向かう道中、今川家の襲撃を受け殺害された。
享年27歳。
「おんな城主直虎」
現在、井伊直親の登場する創作作品の中で一番有名なのはNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」である。
序盤での主要人物の一人であり、後の井伊直虎である「おとわ」と、後の小野政次(小野道好)である「鶴丸」とは幼馴染みの間柄。
幼少の頃は三人で遊んだり、龍潭寺にて手習いを受けていた。「おとわ」と「鶴丸」からは「亀」と呼ばれ、それは終生変わらなかった。
そして「おとわ」から想いを寄せられ「我は亀の竜宮小僧となる!」という宣言を受けたため、「井伊直虎の第一の男」となる。
第1話で史実通りに父:直満が死去。
家臣に連れられ井伊谷を出奔し、信濃に逃れる。
そして約10年後、井伊谷に帰還する。
幼い頃は病弱であったのだが、弓矢の腕前を身に付け、幼少期から持ち合わせていた笛の腕も相まって、井伊谷の人びとから将来を期待される、爽やかな笑顔が似合うイケメンに成長していた。
が、その一方で、要所要所で「人の心情がわかってないだろうこいつ」と思われる行動を取ることが多くなり、次郎法師(直虎)や家臣となった小野政次からは、その将来をたびたび危ぶまれる事になる。ファンからは生前の時点で「さわやかサイコパス」などいう、あまりに有り難くない二つ名を頂戴する事に。
そして史実通りに出家してしまったおとわとは婚姻を交わせず(おとわに拒否されたため)、奥山家の娘と夫婦となり虎松を設け(ここでもおとわ(次郎法師)の件もあり、ひと悶着もふた悶着もまあいろいろとあった)、井伊家の当主となり、今川家から謀反の嫌疑を掛けられる。
そして今川家へ釈明に行く直前、なんと次郎法師(おとわ)にバックハグをし、「戻ったら一緒になろう(大意)」という約束を交わす。
・・・奥方はどうなった?
しかし、史実通りにそれが叶う事はなかった。
かくして次郎法師は「我は直親の写し身となる!」と決意し、井伊家当主「井伊直虎」となった。
みんな知ってるネタバレだろうけど一応、少し空欄を開ける。
そしてその後、第20話にて、信濃より「直親の娘」であるという「高瀬」がやってくる。つまり「直親は、信濃で隠し子を作っていた」のである(史実通り)。
となじられることになり、直虎としのによる「直親このスケコマシ野郎あの世で待っておられませ同盟」が発足。ファンからも「スケコマシ直親」という、更に有り難くない二つ名を頂戴することになった。
※この作品の「丸の中にす」は、もちろん「スケコマシ」の意味である。
後には更に井伊谷に帰還する際に「高瀬とその母親を何の保証もせず信濃に置いていった」という事実が判明し、そのクズさ加減がますます跳ね上がる事になる。
しかもこの後、本編でのだいたいの悪役格の登場人物(例:近藤康用、今川氏真、武田信玄、織田信長)に対して様々なフォローがされているが、直親に関しては「なんのフォローも成されなかった」。
そのため最後の最後まで「さわやかサイコパスクズスケコマシ残念なイケメン」のままであった、という「直虎」本編では非常に珍しい人物となった。
ちなみにpixivでも、だいたいこんな感じのネタキャラ扱いとなっている。
どうしてこうなった
で、どうしてこうなった?のかに関しては、以下の理由が上げられる。
要は、「(子供を作ったこと以外)殆ど何もしていない」、という事である。
他の創作作品(例えば「信長の野望」や「戦国大戦」など)に登場しても、総じて能力値が低く、出番も少なく、扱いも悪く、井伊直虎や井伊直政のオマケ扱いとなっている。
敢えてフォローをするなら、
史実では、直親は井伊直虎の9歳上であり、婚約も恋愛感情が全くない「親同士の約束事」であり、「直虎の幼馴染みで初恋の人」というのはあくまで創作上での設定である。なので直親は、婚約の約束を無理に果たす義理は無かった。
しかもこの時代、結婚せずとも子を成す事は当たり前の事でもあった(直虎も「駒が増えること自体は有難い」と認識していた)。
とはいえ当時の認識でも側室を迎えるにあたり正室の許可が必要であり、許可もなく他所に子供を作り申告もしなかったという時点で直親は明らかにルール違反を犯している。
その上でしのと直虎にいい格好を続け、両者の間に軋轢が生じても我関せずといった態度を貫き、自分に都合の良いように物事が進むなら他者の迷惑を顧みないことが最大の要因として挙げられる。
しかもわざわざ時代考証の先生に、この当時には当然存在しなった「スケコマシ」の語句の使用許可を得て使用されている。
「若くして亡くなった悲劇の若武者」は、今後も「不憫な扱い」のまま、であると思われる。