概要
ゼウスの神殿のあったオリンポス(オリンピア)の名前を冠した世界的なスポーツ大会である。
シンボルマークから五輪とも呼ばれる。
大会公用語として、第1公用語はフランス語。第2公用語に英語を基本とし、
第3公用語として、開会式や閉会式には、開催国の公用語を用いることもある。
夏季オリンピックは、4年に1度。閏年に行われる。
冬季オリンピックは、夏季オリンピックの2年後に行われる。
開催場所の選考
開催都市は1回につき1都市と決められており、現在は2段階の選考となっている。まず各国内で立候補希望都市を絞り、国内オリンピック委員会を通じて IOC(国際オリンピック委員会) に立候補を申請し大会計画等を書類として提出、選考が行われる。この段階で落とされたり辞退する都市もある。2次選考はIOC委員による現地視察などが行われさらに詳細な開会計画を各都市が提出、最終選考は開催の7年前のIOC総会で1都市に過半数の票が集まるまで繰り返し投票、という形で決定され投票の前には各国招致団のプレゼンテーションが行われる。
経済効果
世界中からスポーツ関係者や報道陣、観戦客が大挙して押し寄せるとあって国際的には無名な都市であっても世界に知れ渡り、開催国には多大な経済的利益が発生する。
オリンピックの会場招致に各国が熱を上げる裏には、この恩恵を利用して自国の経済発展をもくろむ意図も多分に含まれているのだが、近年、後述する諸問題により立候補する都市が激減、2024年開催予定のオリンピックを争っていたパリとロサンゼルスを2024年・パリ、2028年・ロサンゼルスに振り分けることで急場をしのぐ形となっている。
それらの問題とは、たとえ開催国に決まったとしても、そこからの会場の施設やインフラ網の整備、治安の維持や国際化の対応など、開催国側にも相応の負担が発生し、これを如何に乗り切るかも主催国としての度量が試される場面である。
主催国は開催時期までに「問題を解決する」という前提で決定するため、失敗すると国際的な評価に大きな爪痕を残しかねない。
近年の失敗の例としては、2016年のブラジル・リオデジャネイロ大会があげられる。
ブラジルは南米の経済大国としてオリンピック招致に名乗りを上げたが、オリンピック開催前に経済が破綻、ギャングが跋扈する治安も悪化の一途をたどったことから、会場建設とインフラ整備が遅れに遅れ、一時は大会の返上も噂されるほどであった。
それでも、大会直前に準備を終え、大きな事件もなくオリンピック・パラリンピックも無事終了、大会は成功したかに思えた。
しかし、現在、オリンピック会場は見る影もないほど荒らされ、ブラジル政府が国民に約束したインフラ建設も滞り、国の赤字も拡大するなど、国際社会にオリンピックの負の遺産、悲惨な現実を見せつけることとなってしまった。
開催都市
(太字は各回の記事あり)
夏季
1896年 | アテネ | 1900年 | パリ | 1904年 | セントルイス |
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1906年 | アテネ | 1908年 | ロンドン | 1912年 | ストックホルム |
1920年 | アントワープ | 1924年 | パリ | 1928年 | アムステルダム |
1932年 | ロサンゼルス | 1936年 | ベルリン | 1948年 | ロンドン |
1952年 | ヘルシンキ | 1956年 | メルボルン | 1960年 | ローマ |
1964年 | 東京 | 1968年 | メキシコシティ | 1972年 | ミュンヘン |
1976年 | モントリオール | 1980年 | モスクワ | 1984年 | ロサンゼルス |
1988年 | ソウル | 1992年 | バルセロナ | 1996年 | アトランタ |
2000年 | シドニー | 2004年 | アテネ | 2008年 | 北京 |
2012年 | ロンドン | 2016年 | リオデジャネイロ | 2020年 | 東京 |
2024年 | パリ | 2028年 | ロサンゼルス | 2032年 |
※第2次世界大戦の影響で中止になったオリンピック‥1940年:東京(日本)、1944年:ロンドン(イギリス)
冬季
1924年 | シャモニー | 1928年 | サンモリッツ | 1932年 | レークプラシッド |
---|---|---|---|---|---|
1936年 | ガルミッシュ=パルテンキルヒェン | 1948年 | サンモリッツ | 1952年 | オスロ |
1956年 | コルティーナ・ダンペッツォ | 1960年 | スコーバレー | 1964年 | インスブルック |
1968年 | グルノーブル | 1972年 | 札幌 | 1976年 | インスブルック |
1980年 | レークプラシッド | 1984年 | サラエボ | 1988年 | カルガリー |
1992年 | アルベールビル | 1994年 | リレハンメル | 1998年 | 長野 |
2002年 | ソルトレイクシティ | 2006年 | トリノ | 2010年 | バンクーバー |
2014年 | ソチ | 2018年 | 平昌 | 2022年 | 北京 |
※第2次世界大戦の影響で中止になったオリンピック‥1940年:札幌(日本)、1944年:コルチナ・ダンペッツオ(イタリア)
オリンピックの政治利用
本来オリンピックでは「政治とスポーツは別」との考え方から、たとえ敵対関係であってもオリンピック期間中は政治的・軍事的対立を忘れることによって「スポーツによる平和な世界」を作ろうという崇高な理想があったのだが、現実はそれらの理想とかけ離れたものとなり、古くから政治利用されている。
たとえば、1936年に行われたベルリン・オリンピックではナチス・ドイツが主催した大会であることから極めて政治的なものとなり、記録映画として初めて製作され、各オリンピックの記録映画の手本となった名作「オリンピア」も、プロバガンダ映画としての一面が否定できない。
また、1980年に行われたモスクワ・オリンピックは、前年にソ連軍がアフガニスタンに侵攻したことによりアメリカがボイコット、日本や西ドイツ、韓国もこれに続いた。
このボイコットは次に行われたロサンゼルス・オリンピック(1984年)にも影響を与え、ソ連を中心とする東側諸国は報復としてこの大会をボイコットした。