概要
1972年8月26日〜9月11日にかけて西ドイツ(当時)のミュンヘンで行われた、夏季オリンピック大会。
正式名称は、第20回オリンピック競技大会(Games of The XX Oiympiad)
121の国と地域から7121人が参加し、21競技195種目を競った。
日本選手団は男子体操が団体総合4連覇、個人総合3連覇を果たし、メダルは個人種目を含め計18個獲得した。また出場前から注目を集めていた男子バレーボールチームが金メダルを獲得するなど、計29個のメダルを獲得した。
ミュンヘンオリンピックの悲劇
大会開催中の9月5日、イスラエル選手団が宿泊している選手村に、パレスチナ武装組織「黒い九月(ブラック・セプテンバー)」が侵入し、イスラエル人選手とコーチの2人を殺害。その後さらに選手ら9人を人質に取って立てこもり、イスラエルに服役中のパレスチナ人の釈放を要求した。
発覚後警察は犯人へ説得を続けたが交渉は失敗。同じころイスラエル政府は西ドイツ政府に自国軍の特殊部隊の派遣を打診したが、西ドイツ側はこれを拒否した。これにより、説得による解決は不可能になり、武力による解決を余儀なくされた。
結局事件は、犯人側が逃亡するための飛行機が用意された空軍基地で、警官隊との間で激しい銃撃戦となり、人質全員死亡、警察官1人が死亡。犯人側も5人が死亡する最悪の結果となった。この事件を契機にオリンピック会場での警備が強化された。
この件の報復として、イスラエルの諜報機関モサドはPLOの幹部を暗殺している。
また、この事件では警察の対応が問題視された。
その要因として、
- 対応した地元警察に人質事件に対応できる部隊や捜査官がいなかったこと。
- 情報不足だった上、事件の様子がテレビで生中継され、犯人側に警察の動きが筒抜けだったこと。
- 狙撃手が使用した銃はスコープのないアサルトライフルで、狙撃手も訓練を受けておらず、射撃の成績が良かったという理由で選ばれた。
- 犯人は5人という間違った情報を受け、狙撃手を5人しか配置しなかった。
- 犯人を油断させるために用意した飛行機には当初警官が待ち伏せていたが、直前に命乞いされたため、急遽多数決が行われたが、反対多数で警官が逃げてしまったため、誰もいない機内を犯人に警戒されてしまった。
などがある。
これを受け、西ドイツ政府は対テロ対策部隊GSG-9を創設した。
なお、このミュンヘンオリンピックの悲劇を題材として製作された映画に2005年に公開されたアメリカ映画『ミュンヘン』がある。
関連タグ
エルンスト・ガーデルマン(西ドイツ代表選手団のチームドクター)