重要
官位
生誕
文政6年9月23日(1823年10月26日)
死没
経歴
山城国京都で内大臣・徳大寺実堅の二男として生まれ、侍従・中院通繁の養子となる。天保8年3月25日(1837年4月29日)に元服し昇殿した。天保12年8月29日(1841年10月13日)右近衛権少将に任じられ、右近衛権中将、兼参議、権中納言を経て、慶応4年2月2日(1868年2月24日)権大納言となった。
安政5年3月(1858年)、日米修好通商条約締結の勅許案を巡り、中山忠能・大炊御門家信・広幡忠礼・四辻公績・正親町三条実愛・正親町実徳・三条西季知・日野資宗・庭田重胤・八条隆祐・橋本実麗・野宮定功と共に、案文の変更を求めた。万延元年7月(1860年)儲君祐宮(後の明治天皇)の三卿に就任。その後、七次にわたって議奏加勢を務める。
慶応3年12月9日(1868年1月3日)王政復古を迎え、慶応4年2月20日(1868年3月13日)参与、林和靖間詰並御内儀口向等取締に就任。同年閏4月、桂宮祗候に転じ、その後、殿掌などを務めた。
家族
通富は徳大寺実堅の次男で実堅は関白・左大臣鷹司輔平の子で輔平は閑院宮直仁親王の第四王子であり。通富は東山天皇の子孫である。
系図
系譜
父:徳大寺実堅
養父:中院通繁
妻:中院繁子
徳大寺公純は実堅の養子で、実堅の兄鷹司政煕の孫である。