徳大寺家
とくだいじけ
本性
藤原北家閑院流
重要
公家としての家格は清華家で、三条家や西園寺家とは兄弟筋にあたる。明治以降は華族として徳大寺実則が侯爵を授けられ、のちにその功により公爵に陞爵した。家業は笛。家紋は木瓜花菱浮線綾(徳大寺家花角)。通字は「公」と「実」を交互に用いる。
家祖の左大臣徳大寺実能は、閑院流の流祖である太政大臣藤原公季の五世孫・権大納言藤原公実の四男で、平安時代末期に崇徳・後白河両帝の国母となった待賢門院の同母兄にあたる。実能は葛野郡衣笠岡(現在の京都市北区)の西南麓に山荘を営み、その中に持仏堂を建ててこれを得大寺あるいは徳大寺と呼んでいたが、のちにはこの山荘自体が徳大寺殿と呼ばれるようになり、これが家名の由来となった。
江戸時代には禁裏北の公家屋敷の一角、今出川烏丸東入北側に屋敷を構えていた。その跡地には明治になって華族会館が建てられ、戦後は同志社大学が取得して同大学大学院の図書館が建てられたが、烏丸今出川交差点と京都市バスの烏丸今出川停留所の間に今日もたたずむ旧徳大寺家の表門がかろうじて往時の名残をその地に留めている。
徳大寺家歴代当主
1徳大寺実能(藤原公実の四男)
2徳大寺公能(先代実能の長男)
3徳大寺実定(先代公能の長男)
4徳大寺公継(先代実定の長男)
5徳大寺実基(先代公継の次男)
6徳大寺公孝(先代実基の長男)
7徳大寺実孝(先代公孝の子)
8徳大寺公清(先代実孝の子)
9徳大寺実時(先代公清の子)
10徳大寺公俊(先代実時の子)
11徳大寺実盛(先代公俊の子)
12徳大寺公有(先代実盛の子)
13徳大寺実淳(先代公有の子)
14徳大寺公胤(先代実淳の長男)
15徳大寺実通(先代公胤の子)
18徳大寺公信(先代実久の子)
19徳大寺実維(先代の子)
23徳大寺実憲(先代公全の子)
24徳大寺公城(先代実憲の子)
25徳大寺実祖(実父は内大臣西園寺公晃)
26徳大寺公迪(先代実祖の子)
28徳大寺公純(実父は関白太政大臣鷹司政通((鷹司輔平の孫))
30徳大寺公弘(先代の子)(弟の則麿は分家して徳大寺男爵家を興す)
31徳大寺実厚(先代の子)
32徳大寺公英(先代の子)美術評論家
次徳大寺実啓(当代の長男)美術評論家