宮家
みやけ
通常は天皇を守る藩屏(守護者)として機能しているが、皇位にもしものことがあれば、男系によって皇位を継承するために設けられている世襲の親王家である。
現存する宮家
かつて存在した宮家
皇籍離脱した十一宮家
終戦直後の1947年(昭和22年)10月14日、連合軍最高司令官総本部(GHQ)の意向により、大正天皇直系に当たる秩父宮家、高松宮家、三笠宮家を除いて、直宮家でない十一宮家は皇族の身分を離れることになった。財産は一部を除いて没収されたため、その後数奇な運命をたどった旧宮家も存在する。
伏見宮
十一宮家の本家に当たる宮家であり、約400年の歴史を有する。
北朝3代崇光天皇の第1皇子、栄仁親王が創設者。第3代貞成親王の子が御花園天皇であり、天皇の弟が第4代貞常親王である。家紋は裏菊で、皇室本家の菊紋とは表裏一体である。江戸時代の四世襲親王家のうち唯一戦後まで同じ血統で存続していた。
山階宮
伏見宮家第20代当主邦家親王の第1王子、晃親王によって創設された。
晃親王は邦家親王14歳の時の庶子であり、長く仏門にあった。山階鳥類研究所は山階宮家によって創設された。宮家の本家は既に断絶しているが、筑波家などの分家がある。
北白川宮
伏見宮邦家親王の第9王子、嘉言親王が聖護院宮として、次いで第13王子智成親王、続いて第9王子、能久親王によって継承された。現在の家系は能久親王の子孫。
能久親王は戊辰戦争時には奥羽越列藩同盟に担がれ、東武皇帝または東武天皇として即位したという説があった。そのためか弟が宮家を創設しても暫く能久親王は謹慎させられたという。後に台湾出兵時に現地のマラリアに感染して死去。戦前は悲劇の宮家として知られ、歴代当主が皆早死にする家系と言われた。
2018年に当主であった北白川道久氏が81歳で薨去したことにより断絶した。
竹田宮
北白川宮能久親王の第1王子、恒久王によって創設された。
王は能久親王の庶子であったことから独立している。二代目の恒徳王はスポーツの宮様の愛称で知られ、後にIOC委員などを務めた。恒徳王の三男がJOC会長・IOC委員の竹田恒和氏、その長男が竹田恒泰氏である。
久邇宮
中川宮の時代は世襲親王家ではないため、親王が創設までに名乗った宮号は個人としての宮号で、この久邇宮の創設でやっと一家を持つことを許された。
父の伏見宮同様、多くの宮家が分家している。皇族の復籍問題で名前があげられる賀陽宮家・東久邇宮は共に久邇宮家の分家である。また昭和天皇の皇后、香淳皇后はこの宮家の出身である。
賀陽宮
久邇宮朝彦親王の第2王子(第1王子は死産)、邦憲王によって創設された。
親王は病弱であったために久邇宮の継嗣から外れたものの、後に宮家創設が認められた。宮家の名はかつて朝彦親王が一時期名乗った宮号に由来する。現当主の賀陽正憲氏は元宮内庁の役人で、皇籍復帰の対象にあげられたことがある。
朝香宮
久邇宮朝彦親王の第8王子、鳩彦王によって創設された。
現在も男系で続いている宮家の一つで、また旧邸宅が美術館となり同館の特別顧問を務めているためか、戦後も比較的安定した生活を続けている。同家に限らず邸宅がプリンスホテルの抵当に入っている宮家などは、堤康次郎らの援助で生活が安定している家が多い。
東久邇宮
久邇宮朝彦親王の第9王子、稔彦王(⇒東久邇宮稔彦王)によって創設された。
稔彦王は皇族としては唯一の首相経験者である。また首相経験者として生没年が明確なものとしては世界一長生きした人物(満102歳没)でもある。皇族出身者としては2013年に甥にあたる東伏見慈洽氏に記録を破られている。稔彦王の第1王子盛厚王に、昭和天皇の第1皇女成子内親王(今上天皇の姉)が嫁いだため、双系継承の面で見れば明治天皇以降で最も長子に近い血統を有する。現当主は盛厚王の第1王子信彦王(東久邇信彦)、昭和天皇の初孫でもある。稔彦王が大変長命であった反面、盛厚王と成子内親王夫妻は早くに亡くなり、祖父から孫に継承された。
東伏見宮
伏見宮邦家親王の第17王子、依仁親王が創設した。
親王は長兄である山階宮晃親王の養子となったが、後に八兄である小松宮彰仁親王の養子となる。兄といっても、晃親王とはなんと51歳も年の離れた兄弟であった。小松宮を継承する予定だったが、仲の悪さから新たに東伏見宮を創設し独立した。継承者はおらず、戦前の親王の薨去で既に断絶が確定していた。
皇籍離脱後間もなく親王妃の薨去で断絶したが、生前より養育していた久邇宮出身の邦英王が既に戦前に東伏見伯爵として祭祀を継承していたため、以後はそちらが実質的な後継となる。後の京都仏教会の長で、皇族史上最高齢を記録した東伏見慈洽僧侶(2014年に103歳で逝去)である。
女性宮家
皇位継承問題の際に、出される策の一つとして女性宮家が挙げられる。女性皇族は、婚姻後皇籍を離脱することになっている現在の皇室典範上皇族の減少に伴いご公務の負担も増加するため、内親王・女王が婚姻しても皇室に留まり宮家を創設して活動するというものである。現在の三笠宮家や高円宮家は当主たる親王が薨去されその妃が当主代行を務めているため、女性宮家とは言わない。
女性宮家は皇族の減少を食い止めるとともに、皇統が安定するという一方で、内親王と夫(王配)との間に産まれた子供の身分や終身宮家にするか一定期間の宮家とするかなどの制度上の問題や、延いては女系天皇の誕生に拍車を掛けるなど保守勢力からの反発もある。