1922年(大正11年)6月25日大正天皇の第2皇子、厚宮雍仁親王が20歳の誕生日を迎えたことを受けて創設された。
4年後に兄である裕仁親王が昭和天皇として即位してから、1933年(昭和8年)に継宮明仁親王(現在の上皇)が誕生するまでは皇位継承第1位という重要な立ち位置にあった(但し昭和天皇の即位当時、天皇25歳・皇后23歳であったため、皇太子・皇太弟としては冊立されていない)。
雍仁親王は天皇の名代としてヨーロッパ外遊を行なったさいにアドルフ・ヒトラーと会談するなど皇族としての職責をこなす一方、国内にあっては陸軍軍人として皇道派の青年将校と親しくし、天皇親政を天皇に訴えて逆鱗に触れ口論になったという逸話がある。
またスキーやラグビーの振興に力を尽くし、現在も秩父宮ラグビー場(明治神宮外苑)、秩父宮記念スポーツ博物館(東京都足立区)に名を残している。
1940年(昭和15年)から肺結核を患い1953年(昭和28年)1月4日、13年にも及ぶ闘病生活の末50歳の若さで薨去した。
雍人親王と勢津子妃(会津藩主・松平容保六男、恆雄長女)の間に子は無く、1995年(平成7年)8月25日に勢津子妃が85歳で薨去したことで絶家となった。