ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

1922年(大正11年)6月25日大正天皇の第2皇子、厚宮雍仁親王が20歳の誕生日を迎えたことを受けて創設された。

4年後に兄である裕仁親王が昭和天皇として即位してから、1933年(昭和8年)に継宮明仁親王(現在の上皇)が誕生するまでは皇位継承第1位という重要な立ち位置にあった(但し昭和天皇の即位当時、天皇25歳・皇后23歳であったため、皇太子皇太弟としては冊立されていない)。


雍仁親王は天皇の名代としてヨーロッパ外遊を行なったさいにアドルフ・ヒトラーと会談するなど皇族としての職責をこなす一方、国内にあっては陸軍軍人として皇道派の青年将校と親しくし、天皇親政を天皇に訴えて逆鱗に触れ口論になったという逸話がある。

またスキーやラグビーの振興に力を尽くし、現在も秩父宮ラグビー場(明治神宮外苑)、秩父宮記念スポーツ博物館(東京都足立区)に名を残している。

1940年(昭和15年)から肺結核を患い1953年(昭和28年)1月4日、13年にも及ぶ闘病生活の末50歳の若さで薨去した。


雍人親王と勢津子妃(会津藩主・松平容保六男、恆雄長女)の間に子は無く、1995年(平成7年)8月25日に勢津子妃が85歳で薨去したことで絶家となった。


関連タグ編集

皇族 宮家

関連記事

親記事

宮家 みやけ

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 4228

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました