概要
東久邇宮稔彦王
稔彦王は久邇宮朝彦親王の第九王子として誕生した。本来は臣籍降下をして伯爵に叙爵する予定だったが明治天皇の第九皇女の聡子内親王の妃を迎えるため宮家を創始し東久邇宮家を興した。稔彦王は陸軍に入った。陸軍士官学校を卒業し陸軍大学校を卒業、大正9年(1920年)にフランスに留学、大正15年(1926年)に帰国した。
稔彦王は陸軍軍人として日中戦争に加わり第二軍司令官として華北に赴任した。ことで後に陸軍大将、その後の昭和20年(1945年)の敗戦後に内閣総理大臣に就任。同年10月に辞任。昭和22年(1947年)に皇籍離脱し、東久邇稔彦と名乗る。その後は新宗教「ひがしくに教」を設立したが禁止の通告をされた。平成2年(1990年)に102歳で薨去。
稔彦王と聡子内親王には盛厚王・師正王・彰常王・俊彦王がいる。
東久邇宮の一族
稔彦王の王子
- 盛厚王 妃は昭和天皇の第一皇女の成子内親王、その後死別し寺尾佳子と再婚。
- 師正王 関東大震災で死去。
- 彰常王 臣籍降下をし粟田侯爵家を創始。
- 俊彦王 皇籍離脱後に多羅間鉄輔の未亡人のキヌの養子になりブラジルに移住。