概要
ムバラク大統領時代長期にわたり政権が安定していたことからアフリカではトップクラスの経済規模を誇るが、政治的には不安定な面もある。
ピラミッドやスフィンクスをはじめとした世界遺産が数多くあり、観光資源としても役立っている。
イスラエル国と和平を結んでからはその地位はやや揺らいだが、軍事、経済、人口など様々な面で中東随一の大国と認識されている。
早くから大衆文化が花開き、マスメディアの普及が早かったことからエジプトの映画や音楽は他国のアラブ人にも愛され、エジプト方言は広くアラビア語の標準語として機能している。
また、宗教面でも、勉学を志すスンニ派の信者の憧れであるアズハル大学が存在するのもここ。
文化としては(中東には概ね共通するが)老若男女を問わず非常に甘いものを好む食文化があり、お菓子はどろーりとシロップがかかり、紅茶はお汁粉レベルまで砂糖を大量にぶっ込んで飲むのが基本。そのためぽっちゃりさんが結構多い。
また鳩肉も好んで食べる傾向にある。
また、現在はアラブ人とイスラム教徒の多い国であるが、イスラム教徒による征服以前はローマ帝国・東ローマ帝国の一部であった。そのまた前は、エジプト神話が信仰され、ピラミッドが建設され、ファラオを支配者として戴いていた古代エジプトである。
簡単な歴史
規則的な氾濫を繰り返すナイル川の流域には、早くから農耕や都市が発達。シュメールとならび早くから定住文明が成立した。この文明はヒエログリフなどの文字をもち、ナイル上流域や西アジア方面への回廊地帯にも進出。新王国のラムセス2世の時代に北のヒッタイトと並ぶ大国としての最盛期を迎えた。国王を意味する「ファラオ」はこの時代に由来する。
その後も地中海世界屈指の大穀倉として栄えたエジプトに、まず前6世紀にアケメネス朝ペルシアが侵攻。さらに前4世紀にアレクサンドロス大王の侵攻をうけ、その後の後継者戦争の結果として、プトレマイオス朝エジプトが成立。ナイル河口の港町アレクサンドリアを都として、地中海世界の地域大国として栄えた。
やがて、西地中海でローマ国家が勃興し、エジプトはローマとの友好関係を保つことで対処する。しかし、前1世紀の後期、クレオパトラ女王の治世に東地中海の勢力をめぐってローマと敵対し、ついにローマ帝国の一部となった。
それでもエジプトの豊かさは変わらず、ローマ帝国の東西分裂後も東ローマ帝国を支える重要地域であり続けるが、7世紀にイスラーム教の勢力下に入る。この頃に現在のカイロの前身にあたる都市が建設された。さらに、10世紀にファーティマ朝がアッパース朝から独立し、エジプトを本拠地として以降は、以後16世紀初頭のオスマン帝国による征服に至るまで、エジプトには独立した勢力が本拠を持ち続け、インド洋-地中海を結ぶ交通の要衝にして場合によってはメッカへの交通路を握る実力者として栄え続けた。サラディンもこの地域に本拠を置いている。
オスマン帝国の征服後も、エジプトは在地の豪族の勢力が強い状況が続く。やがて、18世紀のオスマン帝国衰退期に、派遣された総督であったムハンマド・アリーが豪族を壊滅させ、エジプトは再度の半独立状態となる。だが、欧州諸国の植民地拡張期に当たる19世紀、エジプトはスエズ運河建設に伴う外債を決定打についに国政に介入され、イギリスの保護国化され綿花の生産地とされた。
とはいえ、独立運動も早く、19世紀には独立運動が発生。第2次大戦後には独立し、ナセルの時代にはアラブ世界の盟主としての存在感を見せる。しかし国政は不安定で、いわゆる開発独裁に近い状態が長く続いた。
2011年、アラブの春と呼ばれる民主化運動で当時のムバラク政権は崩壊。しかし、その後の民政移管はうまく進んでいない。
現在のエジプト人はアラブの征服によりすっかりアラブ化してしまい、古代エジプト語と民族的エジプト人としての意識は(一部のキリスト教徒を除き)失われた。
pixivではエジプトに関するイラストに付けられ、主に神話関連のイラストが多い。
関連作品・キャラクター
モハメド・アヴドゥル(ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース)