概要
1985年4月から1987年8月までの2年5ヶ月に渡って放送された帯バラエティー番組である。
当時フジテレビに在籍していたプロデューサーと秋元康が企画から参加しており、大学生等の若者向け深夜番組だった「オールナイトフジ」を手本に、中高生を対象に製作した。
新人芸能人の育成とプロモーションを兼ねたバラエティー番組で、数々の芸能人を輩出し、そのフォーマットは後の乙女塾やモーニング娘やAKB48や乃木坂46等の礎を築いた。
本番組開始当時の平日夕方5時台はアニメ、テレビドラマの再放送か、あるいはローカル帯ニュース、更に地方では番宣番組の放送が当たり前だった所に、あえて帯バラエティー番組を導入した(のだが、実は1970年代にTBSが「ぎんざNOW!」という帯バラエティ番組を放送していた、その後「夕やけロンちゃん」と言う帯バラエティ番組もあったが、子供番組なのでノーカウント)。
その強さは裏番組だった「超獣機神ダンクーガ」(TBSほか)、「兄弟拳バイクロッサー」、「蒼き流星SPTレイズナー」(いずれも日本テレビほか)を皆打ち切りに追いやり、おニャン子クラブの面々目当てに部活に入らなかった学生達も居た程である。
また、スピンオフ番組としては、金曜日夜7時台前半に放送された「夕食ニャンニャン」と、1986年6月に火曜ワイドスペシャルで放送された「おニャン子のアブない夜だよ 生放送」がある。
しかし、おニャン子クラブのイメージが強すぎ、放送されていたコーナーの印象がものすごく薄くなっていた感は否定出来ない。
余談ながら、1989年4月、「夢よもう一度」とばかりに、おニャン子クラブのリメイク版とも言うべき乙女塾なるアイドル養成機関を中心に据えた番組「パラダイスGO!GO!」をスタートさせた。スタッフも一部はこの「夕やけニャンニャン」と共通であった。ただ、こちらは1年しか持たなかった。
ネット局について
元々はフジテレビ以外では、東海テレビ、北海道文化放送、長野放送、岡山放送、テレビ新広島、沖縄テレビでしか放送されていなかったのだが、おニャン子クラブが話題になるにつれネット局は増えていった。
だが、秋田テレビ、石川テレビ、テレビ山口、テレビ長崎については、結局スピンオフ特番「おニャン子のアブない夜だよ 生放送」しか放送されなかった。いずれも編成上の都合で放送を断念したものだった(秋田テレビはテレビ朝日の番組を優先的に組まざるをえなかった、テレビ山口とテレビ長崎は正午に放送出来なかった「笑っていいとも!」を放送せざるをえなかった、石川テレビはアニメ・特撮ドラマの放送日時差し替えは例えキー局の番組であっても原則拒否し続けた誰かさんの「尻ぬぐい」をやらされた)
レギュラー出演者
片岡鶴太郎(最初期)
段田男(不定期)
逸見政孝(「6時のニュース告知」コーナー担当、この番組出演がきっかけで人気が上がった)
おニャン子クラブに在籍していた芸能人
関連イラスト
関連タグ
オールナイトフジ:元となった深夜番組
秋元康:企画から参加
モーニング娘:秋元康とは無関係だが、影響を受けた。
グループ48:AKB48や乃木坂46等はおニャン子クラブの直系の後継者と言える。