概要
日本の元歌手。1965年6月20日、愛知県東海市(旧横須賀町)出身。現在の本名は後藤その子。
おニャン子クラブの元メンバー(会員番号12番)として知られるほか、ソロでも歌手活動を行なっていた。
夫は現役当時からの師匠的存在であった、作・編曲家兼ベーシストの後藤次利。
おニャン子クラブ加入前の1983年、CBCソニーの「ティーンズ・ポップ・コンテスト」で準優勝(この時の優勝は、のちに歌手となった沢田玉恵)。しかし、この時点では1984年の「新春レコード会社対抗オールスター大運動会」にソニー代表の新人として出演した以外は特に活動もなく、高校卒業後はコンピューター系の専門学校に進学した。
1985年4月、専門学校の卒業を控えすでに就職も内定していたが、『夕やけニャンニャン』のメンバーオーディション企画『ザ・スカウト アイドルを探せ!』に出ないかと誘われ、本人も2日程度で終わるだろうと思い了承。4月1日放送の企画に出演したところ合格し、次の週からメンバーとして出演するようになる(新田恵利は後年のインタビューで「(オーディションの段階で)ほとんどデビューが決まっていたようである」と言及している)。
1985年9月にはCBSソニーから「涙の茉莉花LOVE」でソロ歌手デビューする。おニャン子クラブからは最初のソロ歌手デビューとなった。なお、元々の経歴もあって歌唱力の評価は高く、またレコード会社との関係もできていたことが大きな要因となったと考えられる。
1986年4月1日を以って中島美春と共にグループを卒業。以降はソロに完全に移行し、歌手として活動した。
また、1988年には「テレビ拒否宣言」をし、『オールナイトフジ』でミニライブが放送された以外は引退までほとんどテレビに出演することがなくなった。一方で歌手活動は精力的に行い、自身で作曲を手掛けるなどセルフプロデュースにも熱心であった。
1994年に後藤次利と結婚。このとき、既に芸能界を引退している(※活動自体は1990年ごろから休止状態)ことも報じられた。
引退後はおニャン子クラブの同窓会や「あの人は今」系の企画にも参加せず主婦に専念していたが、2009年に復刻盤CD-BOX『河合その子プレミアム』が発売され、久々にメディアに向けてコメントを発表。2010年3月に資生堂の新化粧品ブランド「IN&ON」のCMにおいて、限定的にではあるが芸能界に復帰し、約20年振りのメディア登場となった。この時、後藤との間に一児がいることを公表している。
なお、引退後の2000年に、後藤が音楽を担当していた縁でドラマ版『多重人格探偵サイコ』にカメオ出演している。この時は「龍妃」という名義であった。
自己紹介では「永遠の少女」・「歌うリカちゃん人形」などと名乗っており、ソロデビューの際には「フランスと中国のハーフの女の子」という「フレンチロリータ」路線を意識したキャッチコピーが付くなど、おニャン子クラブとしてもアイドルとしても独特の方向性であった。
華やかで品のある容姿や歌唱力から人気は高く、AKB48に例えるならば、彼女と国生さゆりの関係がちょうど前田敦子と大島優子に相当する…と言えば、当時の人気の一端が伝わるだろうか。
グループ内では最年長(加入時点で20歳。立見里歌と同い年)ということもあり、『夕やけニャンニャン』でも一歩引いた冷静な態度を示すことが多かった。
メンバー間の交友関係は広く、当時仲の悪かった国生さゆり・新田恵利両名と親交があった。
メンバーの中では特に城之内早苗と仲が良く、ソニーの寮では一人部屋に二枚布団を敷いて並んで寝ていたことや、よく一緒にお風呂に入っていたことが本人のインタビューにて語られている。
このほか、『夕やけニャンニャン』のオーディションの後には、アイドルオーディションを受けたにもかかわらず演歌歌手志望の城之内、(メンバーの大半が当時現役の女子高生だったため)既に成人していた河合との間で「私たちは絶対に受からないよね、もう会えないかも」と話になり、記念として一緒に東京タワーに登ったが、ソニーの寮で再会しお互い驚いたことを城之内が言及している。
また、引退後に城之内が「テレフォンショッキング」に登場した際には花束を送っていた。
唯一の悪役
おニャン子クラブメンバーの中で初めてソロ活動(女優デビュー)を行ったのも河合である。
初仕事は当時フジテレビ系列で放送された、斉藤由貴主演のドラマ『スケバン刑事』。
斉藤演じる主人公・麻宮サキに倒されるスケバンの役で、いわゆるチョイ役ではあったものの「華麗にピアノを弾きこなす美人転校生」・「武器が鉤爪」などの設定で妙なインパクトを残した。劇中のセリフ「ゲームなんだよ!!」は「夕やけニャンニャン」でもたびたび取り上げられた逸話がある。
河合以外のメンバーも勿論数多くのドラマに出演しているが、在籍中に悪役として出演したのは後にも先にも河合だけである。
「12」にまつわる話
1年=「12か月」や半日(午前/午後)=「12時間」、12方位など、「12」は生活に広く根付いた安定した数、とも言われる(一方で、次に来る「13」はその安定を崩し、また北欧神話における「招かれざる13番目の客」ロキや聖書における「13番目の席の裏切り者」ユダ等、宗教的要因も含めて忌み数と呼ばれる事が多い)。
しかし、河合がおニャン子クラブから卒業するにあたって、その出席番号である「12」が永久欠番制定された事で意味合いが変わった。
実際のところ河合の卒業はあくまで円満、次のステップへ進む儀式的なものだったのだが、「おニャン子の12番」を愛したファンにとって悲しい現実であったのは事実で、それがいつしか『ウルトラセブン』の欠番エピソード「遊星より愛をこめて」が「第12話」であった事と結び付き(最初の指摘は「ファンロード」の読者投稿欄と考えられる)、ファンの間で 呪いの数字として認知されてしまったのである。