概要
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコを本拠地とするMLBのチーム。
1969年に地区制が導入されて以降、ナ・リーグ西地区所属。
これまでにリーグ優勝は23回、ワールドシリーズ制覇は8度を数える。2005年には北米プロスポーツのチームで史上初となる通算10000勝に到達した。
ロサンゼルス・ドジャースは19世紀にニューヨークで創設され1958年に西海岸へ移転した共通点があり、古くからライバル関係にある。また、リーグは異なるがオークランド・アスレチックスもベイブリッジの対岸に本拠地を置いていることからライバルチームの1つに挙げられる。
日本プロ野球の読売ジャイアンツは、1935年(当時は大日本東京野球倶楽部)のアメリカ遠征の際、このチームの強さにあやかってジャイアンツのチーム名および黒とオレンジ色のチームカラーを採り入れたとされている。
歴史
ニューヨーク時代
1882年、ニューヨーク・メトロポリタンズ(現在のメッツとは無関係)のオーナーグループによって、ニューヨーク市マンハッタン区にてニューヨーク・ゴッサムズとして創設され、この年解散したトロイ・トロージャンズと入れ替わる形でナショナルリーグに加盟した。
1885年、オーナー達はメトロポリタンズからゴッサムズへ主力選手を移籍させて球団経営を一本化。この頃からニューヨーク・ジャイアンツと呼ばれるようになる。19世紀中は2度、リーグ優勝している。
1904年に20世紀初の優勝を飾るが、監督のジョン・マグローは新興のアメリカンリーグをマイナー扱いしてワールドシリーズの開催を拒否する。これが世間から非難されたため規約が見直され、ナショナル、アメリカン双方のリーグの優勝チームが対戦することが明文化された。
チームは翌1905年も優勝。フィラデルフィア・アスレチックスを破り、初めてワールドシリーズを制覇した。この後、1954年までに5度、ワールドシリーズを制覇している。
サンフランシスコ時代
観客動員数が低下したことから、ドジャースと共に、1958年に西海岸カリフォルニアへ本拠地を移転、サンフランシスコ・ジャイアンツとなった。
1962年、サンフランシスコ移転後では初となるリーグ優勝を果たすも、ワールドシリーズではヤンキースに敗れた。
1964年にはMLB史上初の日本人メジャーリーガー、村上雅則がデビュー。“マッシー”のニックネームで呼ばれた村上は1965年まで在籍した。
ロサンゼルス移転後のドジャースがワールドシリーズを5度制覇したのとは対照的に、ジャイアンツは1970年代から低迷期に入ってしまい、1985年には球団史上初のシーズン100敗を喫する屈辱をも味わった。
1989年、27年ぶりのリーグ優勝でアスレチックスとのワールドシリーズ“ベイブリッジシリーズ”に臨むも、ロマ・プリータ地震と呼ばれる震災に見舞われたうえに4タテを食らって敗退。
新庄剛志が在籍していた2002年は、MLB初となるワイルドカードからの勝ち上がり同士となるワールドシリーズをアナハイム・エンジェルスと争ったが、またしても敗退した。
2010年、バスター・ポージーが新人王を獲得したほか、投手陣ではティム・リンスカム、マット・ケイン、マディソン・バムガーナーらが活躍しリーグ優勝。テキサス・レンジャーズとのワールドシリーズも制して、実に56年ぶり(サンフランシスコ移転後では初)のワールドチャンピオンに輝いた。
その後、連覇こそ出来なかったものの、2012年と2014年にもワールドシリーズを制覇している。
ちなみに、西海岸移転後50年以上もの間ワールドシリーズ制覇から遠ざかったことは、日本で呪いネタとして扱われることは無かったがアメリカではCurse of Coogan's Bluffやエディ・グラントの呪いと呼ばれていた。エディ・グラントは第一次世界大戦に従軍して戦死した元ジャイアンツの選手の名前である。
永久欠番
- 番号なし クリスティ・マシューソン
- 番号なし ジョン・マグロー
- 3 ビル・テリー
- 4 メル・オット
- 11 カール・ハッベル
- 20 モンテ・アーヴィン
- 22 ウィル・クラーク
- 24 ウィリー・メイズ
- 25 バリー・ボンズ
- 27 フアン・マリシャル
- 30 オーランド・セペダ
- 36 ゲイロード・ペリー
- 42 ジャッキー・ロビンソン(MLB全球団共通の永久欠番)
- 44 ウィリー・マッコビー
※クリスティ・マシューソンとジョン・マグローは背番号が無かった時代に選手としてジャイアンツに在籍していた人物である(マグローは後に監督も務めた)。
日本人選手
- 村上雅則(1964年-1965年)※昭和年代唯一にして日本人初のメジャーリーガー
- 新庄剛志(2002年)※日本人選手として初めてワールドシリーズに出場
- 藪恵壹(2008年)
- 田中賢介(2013年)
- 青木宣親(2015年)