曖昧さ回避
・英語の形容動詞で「親しい様子」、「家族的」、「ありふれた様子」、「普通な様子」など。
・兵庫県神戸市に本社を置く子供服を中心とするアパレルメーカー。
概要
1963年10月に発売開始。
ライトバンとして設定されたが、他社のと比較すると「貨客兼用より乗用に近い」と高く評価された。
1964年4月に乗用車としてステーションワゴンが追加され、さらにはピックアップトラック、セダン、クーペもラインナップに加わった。
1967年11月に2代目に移行(ライトバンは1968年1月、クーペは同年6月)。
ロータリーエンジンの普及をもくろみ、それが搭載されたクーペ「ファミリア・ロータリークーペ」やセダン「ファミリア・ロータリーS」シリーズが追加された。
1970年に「ファミリア・プレスト」と改名。
1973年に3代目に移行するが、ライトバンとピックアップトラックに関しては引き続き2代目が継続となった。
全幅拡大・フェイスリフトを実施、その際ロータリーエンジン搭載車を廃止した。
1976年には全車種のフェイスリフトを実施し、今のCIロゴを採用。
またセダンとクーペの形式番号を統一する。
1977年に4代目に移行。
ハッチバックスタイルに一新したが駆動形式は引き続きFRを採用。
ライトバンも移行したものの、ピックアップトラックは廃止された。
松竹映画『幸せの黄色いハンカチ』にも登場した(メインイラストも参照)。
1980年にFFに切り替えた5代目が登場。
ライトバンは引き続き4代目を継続するが、ノッチバックセダンを5代目で復活させた。
1985年にライトバンもFFに転換した6代目が登場。
日本車{]初のフルタイム4WD車や、オープンカー(カブリオレ)も追加し、派生モデルの充実を図っている。
世界ラリー選手権にも参戦しラリー・スウェーデンで一度優勝を飾っている。
1989年に7代目に変更。
ライトバンは6代目のまま据え置き、1994年まで生産販売された。
3ドアハッチバックおよび5ドアハッチバッククーペのアスティナ、セダンという構成になった。
なおアスティナに関しては後述のエチュードの後継車として開発され、マツダの販売店名拡大事業に基づき、ユーノスブランドでユーノス100として発売された。
先代に引き続き世界ラリー選手権に参戦、1993年にはグループNカテゴリーでの総合優勝を飾っている。
ただマツダは経営不振から1992年に会社として世界ラリー選手権から身を引いたため、1993年の栄冠はプライベートチームによって達成したものであった。
1994年に8代目に移行。
ライトバンに関しては日産自動車からのOEM提供車であるADバンに変更となる。
自社生産は3ドアハッチバッククーペのNEOとセダンに絞り込んだ。
NEOは海外からの評判は良かったものの、日本では奇抜なデザインが不評であったらしく短期間で撤退となった。
1998年に9代目が登場。
ステーションワゴン(S-ワゴン)とセダンの2車種が発売された。
2004年4月をもって自社生産分の販売を終了。
後継車はマツダ3(3代目までの日本名アクセラ)となる。
ライトバンに関しては2007年に9代目に移行したが、2018年6月の10代目からはトヨタからのプロボックスに変更となった。
派生車種
1971年から1978年まで販売されていたファミリア(プレスト)の上級車種。
クーペ、バン、セダンの3車種が存在した。
ただし「ファミリア」の名前がついているが、実際は初代サバンナのレシプロエンジン仕様車であった。
1987年から1990年まで発売されていた3ドアハッチバッククーペ。
ファミリア並みの走行性能を持っていたが、ベースとなったファミリアの陰に隠れて廃止となった。
後継車はファミリアアスティナ。
- フォード・レーザー
米国フォードとの提携によって生まれた車種で、1981年から2000年まで販売。
3代目(3ドアハッチバッククーペとセダンが設定されていた)以外はファミリアのOEMとなっていた。
ただし4代目のハッチバッククーペはヘッドライトの形がファミリアのNEOと異なってはいた。
また最終モデルの5代目は「レーザーリデア」と名乗った。
なお3代目は、2代目フォード・エスコートセダン&3ドアハッチバック(および2代目マーキュリー・トレーサーセダン)の日本仕様車であったりする。
追記
米国を除く海外ではマツダ323という名前で売られ、特にヨーロッパでは高い評価を受けた。
アメリカではマツダGLC→プロテジェのほか、2代目はマツダ1000、6代目のハッチバックとバン(のリアシートを座り心地の良い物に取り替えた物)は(初代)マーキュリー・トレーサーという名前で売られたことがある。
2代目のロータリーエンジン搭載車は海外ではマツダR100と言う名称で販売された。