シベリア
しべりあ
シベリアとは
シベリア Siberia Сибирьスィビーリ
狭義では東部の極東地域を除く。
お髭のおぢさんに送られて木の数を数えさせられる所である。
シビル、シビーリ、英語ではサイベリアとも言う。森林地帯であったため19世紀から緑ロシアとも呼ばれた。
- 漢字表記で西比利亜とも書く。
- かつては日本語でシベリヤという表記も多くみられた。
- シベリアの名称はシビル・ハン国に由来する。
厳密には極東分水嶺(だいたいレナ川を境)より東の日本海・オホーツク海など沿岸地域は含まないが広義には含めることもある。ロシア連邦の連邦共和国・連邦自治管区は存在するが独立国家は存在しない。
- 主な都市として、西から、オムスク、ノヴォシビルスク、クラスノヤルスク、イルクーツクがある。
- 広義のシベリアはさらに、エカテリンブルク、ハバロフスク、ウラジオストクを含む。
- 人口最大の都市はノヴォシビルスク。主な言語はサハ語などである。
- テュルク諸語やウラル語族に属する言語が多く分布している。
スターリン時代に、ソ連国内外の多数の人々がシベリアに送られ、強制労働に従事させられた歴史も付記しておかなくてはならない。
シベリアの範囲
- ウラル山脈分水嶺より東のロシア地域全て、つまり、東は太平洋岸までを意味した。
南北は現在と同じく北は北極海沿岸まで南は中央アジア・モンゴル・中国との境界までだった。
ソ連・ロシア連邦
- 東の境界は太平洋分水嶺となりより東のロシア極東は含まなくなった。また西はウラル山脈ちょうどではなく、ウラル山脈東南麓のチェリャビンスク州とスヴェルドロフスク州が除かれる。
現在
- ロシア国外では、シベリアをウラル山脈から太平洋沿岸までとしロシア極東を含む古い意味で使うことがある。
菓子「シベリア」
羊羹または小豆のあんこをカステラで挟んだ日本の菓子。「シベリヤ」と表記される場合もある。また、「羊羹カステラ」と称して販売している製造者もある。
主に中部地方以東の東日本で作られ消費されている。小豆のあんこ、カステラのいずれも和菓子の材料であり、「シベリア」のルーツがシベリアにないことは明らかである。
漫画三丁目の夕日にて一部解説されているが、昭和30年代当時は長崎カステラのような本式のカステラが高級品とされていた一方、原価の安いものを使用しているからかシベリアとして販売するものは比較的庶民にも広まっていたことが示唆されている(シベリアケーキと称する商品もあり、必ずしもカステラの製法に厳密に沿ったものではなかったと考えられる)。
冷蔵庫が普及する以前、当時の子供たちには冷たい羊羹を挟み込み冷やし固めたシベリアは特に人気の高い菓子であった。戦後においても家庭の冷蔵庫の主流は氷式冷蔵庫(氷を冷蔵庫の二階部分に入れることで冷やす、電化製品ではなく一種の保冷ボックスのようなもの)であったことから一定の人気を保ったと言える。
しかし、高度経済成長に伴い電気式冷蔵庫が爆発的に普及すると、家庭内でもアイスクリームをはじめ冷凍菓子製品が気軽に保管出来るようになり、菓子類の主流も一気に置き換わった。
一方でカステラの需要も高まり、いわゆる長崎カステラの製法が全国的に販売する製品においても採用され、全体的な質の向上が図られた。その中でシベリアは作るのに手間がかかることから次第に立場を失い、いつの間にかシベリア人気は消失していったとされる。当時の市販品に多く見られた強烈かつ単調な甘味も、飽食の時代とも言われる中でいつの間にか飽きられていったのだろう。
個人経営の和菓子店やパン屋などでは今でも大きいサイズで作られているが、市販商品のシベリアは食べやすいように小さいサイズに細断されているタイプが主流である。なお、東日本ではメジャーなお菓子であったが西日本ではあまり馴染みが無く、存在自体を知らない人も多かった。ために、物珍しいということで老舗菓子店などがシベリアを作って販売することも現在ではままある。
近年ではあまりなじみのないお菓子になっていたが、アニメーション映画『風立ちぬ』の劇中に登場したことにより注目され、再び人気が高まっている。
由来
ルーツは大正時代頃の東京や横浜であるらしいが、「シベリア」という名称の由来には諸説あり、はっきりした事はわかっていない。
- 羊羹部分が、大雪原を走るシベリア鉄道に見えるから。
- 層になった断面がシベリアのツンドラ(永久凍土)の地層に見えるから。
- カステラと羊羹のひんやりとした食感を強調するため「寒い土地 = シベリア」という発想から名づけられた。
- 大正7年(1918年)にシベリア出兵があり、当時の人々にとってシベリアは身近な外国の地名だった。その頃に作られた菓子で、洋風の印象を与えるものだったので、そのまま名前になった。
- ロシア革命(1917年)のために亡命して来たロシア人が経営する「シベリア」という名の喫茶店があり、そこでこの菓子が売られていた。
- ロシア革命で、神戸に亡命した貴族の姫君が、恋人の亡骸が埋まっているシベリアの凍土を想いながら作った。
- 日露戦争(1904年)に従軍した菓子職人が考案した。