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平田弘史の編集履歴

2021-11-02 22:25:12 バージョン

平田弘史

ひらたひろし

時代劇を主とする劇画家。

本名:平田弘(1937年2月9日~)

日本の漫画家

半世紀以上の長きにわたり時代劇を中心に、骨太な劇画を書き続けてきた。

アシスタントで漫画家のとみ新蔵は実弟である。


1937年、板橋区東京都)で誕生。両親は天理教徒。

1945年、東京への空襲が激しくなってきたため、家族は天理市奈良県)に戻る。

1952年、父を亡くし、大阪の設備会社へ就職して家族を養う。宮地正弘の勧めで大阪の日の丸文庫原稿を持ち込む。

1958年、短編漫画誌「魔像」(日の丸文庫)掲載の「愛憎必殺剣」で貸本デビュー。

1965年、佐藤まさあきを頼って上京。「月刊漫画ガロ」(青林堂)掲載の「」で一般誌進出(ペンネーム:加治一生)。

1966年、結婚し国分寺市(東京都)へ転居。以後、「コミックmagagine」(芳文社)や「少年キング」(少年画報社)などで活躍。


現在は静岡県に在住。


自宅に趣味の機械工作のための工房があり、その腕前は職人の域である。

書道にも長け、大友克洋の『AKIRA』やみなもと太郎の『風雲児たち』、西尾維新小説等の題字を手掛けた。


絶版になった「血だるま剣法」と、危ない部分を替えてリメイクした「おのれらに告ぐ」は2000年代に入りダメなところを伏字にして再発行されたが、最後のところに作者がみずから「萌え」の字をしたためたTシャツを着てを被り構えた写真が載っている。


熱心な映写機研究家で、映写機改造から自作まで手掛けた。

1990年前後にはシンセサイザーによる作曲も趣味だったが、2002年にハワイへ実弾を撃ちに行った際に重度の難聴となり、断念している。

古参のMacintoshユーザーとしても知られ、早い時期からデジタル作画を手掛けていたが、その後アナログ作画に戻っている。


パーキンソン病を患って手足が不自由になったため、現在は引退している。


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漫画家 劇画 書道

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