本名:平田弘(1937年2月9日~)
日本の漫画家。
半世紀以上の長きにわたり時代劇を中心に、骨太な劇画を書き続けてきた。
1945年、東京への空襲が激しくなってきたため、家族は天理市(奈良県)に戻る。
1952年、父を亡くし、大阪の設備会社へ就職して家族を養う。宮地正弘の勧めで大阪の日の丸文庫に原稿を持ち込む。
1958年、短編漫画誌「魔像」(日の丸文庫)掲載の「愛憎必殺剣」で貸本デビュー。
1965年、佐藤まさあきを頼って上京。「月刊漫画ガロ」(青林堂)掲載の「愛」で一般誌進出(ペンネーム:加治一生)。
1966年、結婚し国分寺市(東京都)へ転居。以後、「コミックmagagine」(芳文社)や「少年キング」(少年画報社)などで活躍。
現在は静岡県に在住。
自宅に趣味の機械工作のための工房があり、その腕前は職人の域である。
書道にも長け、大友克洋の『AKIRA』やみなもと太郎の『風雲児たち』、西尾維新の小説等の題字を手掛けた。
絶版になった「血だるま剣法」と、危ない部分を替えてリメイクした「おのれらに告ぐ」は2000年代に入りダメなところを伏字にして再発行されたが、最後のところに作者がみずから「萌え」の字をしたためたTシャツを着て兜を被り構えた写真が載っている。
熱心な映写機研究家で、映写機改造から自作まで手掛けた。
1990年前後にはシンセサイザーによる作曲も趣味だったが、2002年にハワイへ実弾を撃ちに行った際に重度の難聴となり、断念している。
古参のMacintoshユーザーとしても知られ、早い時期からデジタル作画を手掛けていたが、その後アナログ作画に戻っている。
パーキンソン病を患って手足が不自由になったため、現在は引退している。