曖昧さ回避
- 日本の競走馬。本項で解説する。
- ゲーム『ウマ娘プリティーダービー』に登場する、本馬をモチーフとしたキャラクター(ウマ娘)。→ シンコウウインディ(ウマ娘)
夜明けの咆哮
木々をなぎ倒し
岩を打ち砕きながら
道を作ってきた
幾多の先人たちよ
その志を受け継いで
獰猛な獣が駆ける
凍てついた砂を
熱い咆哮で溶かしていく
いま夜は明けて
新たな時代が始まる
- 名馬の肖像 2021年フェブラリーステークスより
プロフィール
※本記事の表記は旧馬齢表記(現在の表記より+1歳)を用いる。
馬主は「パッ!とさいでりあ~」のCMで知られた住宅建材販売・リフォーム企業「新興産業」の創業者。シンコウの勝負服は黒一色。
戦績
美浦トレーニングセンター田中清隆厩舎所属。
現役時代は、GⅠ馬ながら気性難の曲者で、ネタ馬としても有名だった。下記のような噛み付き癖のほか、ゲート内で入れ込んで脚で砂を蹴り、穴を掘ってしまうことがあったという。
4歳(1996年)
1996年1月6日、東京競馬場ダート1200m新馬戦でデビュー。3番人気1着。
500万下条件の芝のレースで3戦して4着、2着、4着。ダートのレースで勝って900万下に昇級。
8月31日館山特別中山競馬場ダート1800mでは、直線で抜け出したダイワオーシャンに並びかけたところで噛み付きに行った(未遂)ために敗れる。
日常生活において噛み付き癖のある馬はいくらでもいるが、レース中に噛み付きにいって敗れるというのは大変な珍事で、この出来事から未だ条件馬ながら注目を集めた。
9月28日、ユニコーンステークス(GⅢ)では1着入線のバトルラインから0.5秒離されての2位入線だったが、バトルラインの降着処分により繰り上がり1着。幸運な形で重賞初制覇を挙げる。
しかし次走、大井競馬場でのスーパーダートダービー(南関東G1)では、先頭をいくサンライフテイオーにまたも噛み付きにいったことで脚が鈍り2着に終わった。
5歳(1997年)
1997年1月6日の平安ステークス(GⅢ)では、トーヨーシアトルと並んで入線し重賞史上3例目の1着同着で重賞2勝目。
続く2月16日、史上初の中央ダートでGⅠに昇格したフェブラリーステークスに臨む。ダート上に水が浮くほどの不良馬場の中、最終直線でじりじりと脚を伸ばし、ストーンステッパーとの競り合いを制し勝利した。
よって、ウインディはJRA最初のダートGⅠ馬ということになる。
しかし、6月の帝王賞7着後に脚部不安が見つかり休養に入る。故障の回復は思わしくなく、結局休養は2年間に及んだ。
7歳(1999年)
1999年、復帰戦として久々の芝レースである安田記念に挑むが、エアジハードの13着と大敗。
同年の日本テレビ盃(GⅢ・船橋)を最後に引退した。
引退後
2000年シーズンから、馬主の経営する北海道のシンコーファームに繋養され、種牡馬生活に入った。
しかし2001年、新興産業の経営悪化により、馬主の安田氏が所有馬全てを手放し馬主業から撤退するトラブルに見舞われる。シンコーファームは新興産業から独立して経営を継続したものの、種付け相手は全く集まらなくなってしまう。
その後、シンコーファームの設備はドバイ系の外資牧場ダーレー・ジャパンに買収される。
ウインディは種牡馬登録を抹消され、同牧場で当て馬兼功労馬として第3の馬生を過ごすことになった。
しかしウインディはへこたれない。
当て馬は繁殖牝馬の発情を確かめ、ムードを高め、しかし種付けはさせてもらえない。時には気の強い牝馬に蹴られることもある危険な役割である。
そんな役割だが、ウインディは危険な目にあってもひるまず蹴られても引きずらず、優秀な縁の下の力持ちとして評価され、生産現場を影から支えているそうな。
気性も落ち着き、往年の噛み付きも甘噛み程度に落ち着いたとか。
繁殖シーズンの仕事以外は他の種牡馬たちと同じ待遇で、自分の血こそ残せなかったが元気に過ごしているようだ。
余談
噛みつきに行ったことで有名になったシンコウウインディだが、では降着や失格にならなかったのかと疑問を抱くだろう。JRAのルールでは「走行妨害がなければ被害馬が加害馬に先着していた」場合に罰則が生じるのだが、シンコウウインディの場合は噛みつきに行って相手を勝たせている(負けている)上に、噛みつきに行って他の馬の邪魔になっていないのでお咎めなしになっている。
外部リンク
関連項目
マイク・タイソン 試合中に相手の耳を噛んだ。
インデックス 上条当麻に噛みつきに行く癖があることで共通。