スピルバーグ(競走馬)
すぴるばーぐ
デビューまで
母プリンセスオリビアは米国で現役時代24戦3勝をあげ、引退し、繁殖牝馬となった。
米国で産んだ初年度産駒フラワーアレーは2005年8月に米G1・トラヴァースステークスを制するなど、活躍。(種牡馬としても米二冠馬アイルハヴアナザーを輩出するなど、活躍)
社台ファームが同年11月のキーンランドセールで82.5万ドル(当時約9500万円)で落札して、日本へ輸入。
日本では3番仔としブルーミングアレー、4番仔としてトーセンラーを輩出し、2009年5月12日に5番仔としてスピルバーグは誕生する。
プリンセスオリビアはその後、不受胎や流産等が続いたため、スピルバーグは末っ子である。
現役時代
ダービー挑戦
2011年JRAにて競走馬デビューし、新馬戦1着。
2012年初戦の500万条件では後に天皇賞・春を連覇するフェノーメノに敗れ、2着となる。
次走のG3共同通信杯では1着ゴールドシップ、2着ディープブリランテに続く3着となり、彼らが後にGI馬となることを考えるとこの時から力は示していたと言える。
その後、500万条件は4着、G3毎日杯は3着に終わるが、続いて東京優駿(日本ダービー)のトライアルであるプリンシパルステークスに挑戦し、見事、勝利を収めたことでダービーへの優先出走権を獲得し、ダービーへ駒を進める。
しかし、ダービーではディープブリランテ1着、フェノーメノ2着、ゴールドシップ5着に対し、14着と惨敗。
更に骨折し、1年2ヶ月超の長期休養を余儀なくされる。
(このダービー後にスピルバーグ以外にも故障者が続出し、最終的にダービー馬含めた2頭が現役引退、2歳王者のアルフレードを含めた4頭が長期休養となる)
骨折からの復活
休養期間中にオープンから1000万下(現・2勝クラス)に2段階降級。オープン馬でなくなり、条件戦から再スタートすることになる。
2013年8月の日高特別にて復帰するも6着と敗北。
しかし、その後は休養を挟みながら、2014年5月のメイステークスまで3連勝をきめたことで、条件戦から這い上がり、再びオープン入りを果たす。
天皇賞挑戦
その後、G3エプソムカップへの挑戦を予定していたが、ここに来て骨瘤を発症したため、これを回避し、秋まで待機することになる。
秋初戦のG2毎日王冠では3着と善戦し、天皇賞・秋へ駒を進める。
出走馬は同期としては三冠牝馬ジェンティルドンナ、天皇賞・春連覇フェノーメノ、NHKマイルカップ覇者カレンブラックヒル、2歳下の皐月賞馬イスラボニータなどなど、スピルバーグ以外は全員重賞馬であり、唯一の重賞未勝利馬として天皇賞・秋に挑戦することになるが…
なんとジェンティルドンナを4分の3馬身差で下して勝利をあげる。
これは生涯唯一の重賞勝利であり、馬主初のGI勝利となった。
また、重賞未勝利馬が天皇賞・秋を勝利するのはギャロップダイナが皇帝シンボリルドルフを破った天皇賞・秋以来、29年ぶりの快挙であり、奇しくも重賞未勝利馬が三冠を破るという光景が再現されることになった。
ジャパンカップ挑戦
続いて、挑んだジャパンカップでは3着と善戦。
1着がこのレースでレーティングL129を獲得し、2014年のWBRRで世界総合2位、L(中長距離)区分では世界1位となるエピファネイア、2着がM(マイル)130で世界総合1位のジャスタウェイであり、4着のジェンティルドンナには先着していることから、強豪揃いの中で十分に健闘したと言える。
実際、スピルバーグのジャパンカップでのレーティングはL120であり、天皇賞・秋のレーティングI(中距離)118を上回っている。
現役引退まで
2015年は「上半期に日本に最適なレースがない」ということでイギリス遠征等も行う。毎日王冠や天皇賞・秋が10着で終わったことから「潮時」と判断され、かつて栄冠を掴んだ天皇賞・秋を最後に現役引退することになる。
結果的に2014年天皇賞・秋が現役最後の勝利となった。
現役引退後
2016年より社台スタリオンステーションで種牡馬入り。
2018年12月にブリーダーズ・スタリオン・ステーションに移動。
2020年10月にはイーストスタッドに移動。
2022年現在は青森県東北町の東北牧場で供用されている。
余談
プリンセスオリビアは5頭の産駒を輩出したが
長男フラワーアレー:米G1トラヴァースステークス覇者
次女ブルーミングアレー:オープン馬
次男トーセンラー:マイルチャンピオンシップ覇者
三男スピルバーグ:天皇賞馬
と、5頭中3頭がG1馬、1頭がオープン馬と、ずば抜けた良血一族であると言える。
また、トーセンラーとスピルバーグは父ディープインパクトの全兄弟であるが、兄トーセンラーが京都巧者であるのに対し、弟スピルバーグは東京巧者である。
関連タグ
フェノーメノ:条件馬時代からのライバル
ジェンティルドンナ:天皇賞・秋、ジャパンカップと挑戦。
ギャロップダイナ:彼もまた重賞未勝利でありながら、三冠を破り、秋の盾を勝ち取った。なお、彼は当時オープン馬ですらなく、条件馬であった。