概要
名前の由来はフランス語で「偉大な馬」。
戦績
2014年デビュー、京都2歳S3着。2015年毎日杯5着、条件戦を勝ち上がる。
2016年阪神大賞典で重賞初制覇、春の天皇賞3着、宝塚記念9着、アルゼンチン共和国杯で重賞2勝、ジャパンカップ3着、有馬記念6着。
2017年阪神大賞典2着、春の天皇賞2着、宝塚記念8着、京都大賞典3着、シルバーコレクター・ブロンズコレクターという評価が付きかけるも、JCでついにG1初制覇、有馬記念3着。
2018年大阪杯13着、春の天皇賞2着、京都大賞典4着、JC4着、有馬記念3着。
2019年ドバイシーマC2着、キングジョージ6着、イギリスインターナショナルS8着、JC9着、有馬記念6着後に引退。
現在はブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬として供用されている。
ライバルのキタサンブラックとは2勝6敗、サトノダイヤモンドとは3勝2敗、ゴールドアクターとは4勝2敗、サトノクラウンとは3勝2敗。
エピソード
アドマイヤデウスとジャパンカップ
アドマイヤデウスは2015年の日経賞と日経新春杯を勝利したG2馬である。シュヴァルグランとは4戦し、いずれもシュヴァルグランが先着していたが、共にキタサンブラックやサトノダイヤモンドには及ばず、G1に手が届かない日々が続いていた。
また、シュヴァルグランもデウスもデビュー前の育成厩舎はノーザンファーム早来牧場の林厩舎であるため、デウスは先輩にあたる。現役時代のシュヴァルグランは夏に林厩舎へ戻り、調整を行っており、2017年夏も滞在したが、デウスもまた林厩舎で滞在していたことから、2頭で共に調教に励んでいた。
(それぞれの勝負服は酷似したデザインとなっているが、オーナー同士の関係が理由ではないかと言われている。元々、佐々木氏は寿司屋で偶然出会った近藤氏に誘われ、中央の馬主となっており、馬主免許取得から勝負服の登録まで近藤氏に任せていたとのこと。他にも近藤氏が佐々木氏に牧場関係者や調教師等を紹介したり、セレクトセールについて教授したり、共同名義でアドマイヤマジンを所有したりするなどしており、佐々木氏は近藤氏を師のように慕っている。)
その後、アドマイヤデウスは2017年8月10日付けでJRA競走馬登録を抹消、オーストラリアへ移籍した。しかし、10月17日の調教中に故障し、目標としていたコーフィールドCを断念。ジャパンカップにも豪州馬として予備登録していたが、引退が決まり、デウスの分までの頑張りをと、シュヴァルグランに想いを託す新聞記事もあった。複数回の手術を施され、医師団による懸命の治療が続けられ、一時は快方に向かっていたが、術後の感染症が原因で道半ばでその馬生に幕を閉じた。
デウスの死が発表された翌日の11月26日、日本。シュヴァルグランはジャパンカップに挑まんとしていた。レースでは、前で粘るキタサンブラックを射程圏内に入れると、この夏に見違えるほど力強くなったトモを推進力へと変えながら一歩、また一歩と加速していく。キタサンブラックをゴール前で交わしきり、レイデオロの追撃をも振り切り、ゴール。悲願のGI初制覇を果たした。その姿からアドマイヤデウスが戻ってきたかのように錯覚したファンもいた。
レース後、2頭を育成した林調教主任は次のように語っている。
「ゴール前でシュヴァルグランの後押しをしてくれたのは、天国のアドマイヤデウスではないかという気もしています」
血縁関係
言わずと知れた名牝ハルーワスウィートの産駒。
半姉にヴィルシーナ(13-14ヴィクトリアマイル連覇)、半妹にヴィブロス(16秋華賞・17ドバイターフ制覇)がいる。そのため、母ハルーワスウィートは3兄弟GI制覇を達成している。なお、3頭の中ではGI制覇は一番最後となった。
なお、調教助手によれば、姉や妹(同じく友道厩舎)には似ておらず、普段の性格については「マイペースで自分の世界を持っている」という。
食いしん坊
食欲旺盛で太りやすい。友道厩舎の馬房ではチップを敷いているが、2016年の有馬記念へ遠征した際には中山の出張馬房(チップを敷けない)に敷かれた寝ワラを食べたことで、体重調整に失敗した。翌年の有馬記念では間食防止の対策として、口かごが真面目に検討されていた。
関連タグ
ドゥラメンテ:同期。現役時代は1戦のみだが、同じノーザンファーム早来牧場林厩舎の出身。
ウマ娘プリティーダービー;2022年2月22日に発表された名称不明の2名のウマ娘のうち、帽子を被ったキャラ(通称「帽子の子」)がシュヴァルグランではないかと推測されている。
一周年記念で配信されたショートアニメでキタサンブラックとサトノダイヤモンドのクラスメイトであったことから両名の元馬と近い世代で、縦長の流星と白や水色の勝負服(帽子の色)から考察された結果最有力となったのがシュヴァルグランである。
水兵のような帽子は馬主の佐々木主浩氏の所属していた横浜ベイスターズとシアトルマリナーズから来ていると考えられている。ついでにいうと上記の発表日は氏の誕生日でもある。