文字通り、腹を切ること。イラストにおいてはR-18G指定となっているため注意。
概要
武士が切腹するのは、古来より腹が魂の宿る場所だと信じられていたからであり、その場所を開いて見せることで、魂が清いか汚いかを判断してほしいということからとされ、『責任をとる』と言うより『身の潔白を証明する』という意味合いが強く、ただ処刑されるのではなく、そういう場を与えてもらえることで名誉を回復するものとされるようになったのではないかと推察されている。
現代においては「何らかの責任をとって役職等を辞する」ことの比喩としても用いられる。
なお、(後世には形骸化しつつも)あくまで切腹は武士の名誉を守れることであり、武士であっても非道の行いが過ぎたり、名誉など与える必要が無いと判断された時には打首に処される。
代表的な所では島原の乱終結時の島原藩の藩主、松倉勝家が挙げられる。彼は失政の責任を問われ、大名という名誉ある地位にもかかわらず打首に処された。
自害の方法としては古く、平安時代の武士源為朝が最初に行ったとされる。
切腹、というものの認識は江戸時代に入るまではまちまちであり、「名誉ある死」ととらえられることもあれば、「自分の死に様を美化する行為」と蔑まれることもあった。
後に高松城水攻めの際に清水宗治が城兵の助命と引き換えに見事に切腹して果てた事から、名誉ある死であるという認識が侍の間で広まった。
また、血を分けた父や、主君が害されれば、敵討ちをしないことは不名誉とされ、有名な忠臣蔵の物語もそういった意味合いが込められている。
作法
江戸時代に確立した作法では、切腹人はあさぎ色の装束を左前に着るのが正式。ただしイラストなどでは見栄えのする白装束で描かれていることが多い。
使うものは懐紙を巻いた短刀。
切腹の際は左の脇腹に短刀を突き刺し、それを右の脇腹まで引いて腹部を真一文字に切り裂く。
その後は短刀を一度抜いて鳩尾に突き刺し、臍の下まで押し下げることで腹を十文字に切る方法や、短刀を抜かずにそのまま左の脇腹まで切り戻すなど、幾つかの切り方があった。
ただし後述の通り凄まじい激痛を伴い、腹を真一文字に切り開くことさえ難しい。そのため、基本的には刃、後にはそれも儀式化して短刀の代わりに扇子や木刀を腹に突き立てた後に介錯人が首を落として終わりとなる。
介錯には完全に首を落とす方法、武士の頭を地に落とすのは無作法として首の皮一枚だけを残して胴にぶら下がるようにする方法などがあった。
なお、介錯人は作法によって袴は着用しない。
で、実際どうなの?
腹部は腸という神経の詰まった臓器の収納部であり、なおかつ致命的な急所が少ないため、気を失うほどの激痛が延々と続くらしい・・・。切腹時の死因は出血性ショックということになるが、すぐに死ねるものではない。極度の痛みと緊張のために刀を腹に突き立てると同時に失神したり、腹から腸がはみ出るほどの深手を負いながら生還した事例もある。
そのため、切腹を本当に行うには人並み外れた意思の強さを要する。屈強な武士といえども、本来の切腹を完遂できる者は稀であったことは想像に難くない(その稀な例としては織田信長の三男・信孝、土佐勤王党の首領・武市半平太らがいる)。
当然、痛みに耐えかねて藻掻き苦しんだり、恐怖を堪えきれず錯乱してしまう者も大勢居た。上記のように切腹とは名誉回復の場でもあるため、あまり見苦しい醜態をさらしてしまうと士道不覚悟と見なされ、当人の尊厳を貶める事になってしまう。
そこで切腹人を確実に死に至らせるため、切腹の際には切腹人が腹を刺すと同時に打ち首をおこなう介錯人を伴うようになり、切腹する人間の苦痛を早めにとり去るようになった。
江戸時代になり切腹の作法が形骸化すると、実際に腹を切る事例はほぼほぼ無くなり、使うものは短刀ではなく扇子や木刀を短刀に見立てるようになる。その頃は短刀に見立てた扇子に手を伸ばす、あるいはそれを腹に突き立てる仕草をした瞬間に首を落とした。これを扇子腹という。
ただし介錯は的確に頸椎の間を切断、あるいは頸椎そのものを切断するという相当に高度な技量を要求される。
そのため生半可な腕前の者では腹を切った者をさらに滅多切りにすることになり、逆に苦痛を増大させることになってしまう。
幕末以降
幕末になると本格的な切腹が復活し、実際に腹を切った事例も増えている。
エピソードには枚挙に暇がなく、中には終戦時の大西瀧治郎などのように介錯を拒否した者もいた。
また、陸海軍が武士の伝統をある程度受け継いでいたため切腹をもって自殺を為す事も多かった。
なお新撰組の原田左之助は伊予松山藩の中間時代に上官と喧嘩になり、勢いで腹を切ったことがある。
また鑓で知られた(ただし子孫に伝わる話では剣術一筋であったとされる)谷三十郎は隊士の切腹の際に介錯を命じられたが上手くできずに周章狼狽して滅多切りにしてしまい、見かねた斉藤一が飛び出して一刀の下にとどめを刺した。
海外の反応
日本独自の自殺方法としてハラキリの名で知られている。海外では多くの国が自殺が宗教上タブーであり、その精神や価値観が全く異質である文化ということもあり、蔑視・興味・好奇心を持って伝えられる。
注意
このタグが付く作品は事柄上、R-18、R-18Gのイラストがほとんどであるため閲覧は要注意。
映画『切腹』
昭和37年(1962年)に、滝口康彦氏の小説『異聞浪人記』を原作とした、小林正樹氏が監督を務め製作された日本映画。その年の芸術祭にも参加した作品。
後に三池崇史監督によって、リメイク作品『一命』が製作され、カンヌ国際映画祭にも出展された。
『切腹』予告編
リメイク版『一命』予告編
別名・表記ゆれ
関連タグ
セプクとハラキリ(セプクは「自決」の意。ニンジャスレイヤー世界において、ケジメをもってしても償いきれないミスを犯したものはただ自決あるのみ。自決したものを責めることは実際シツレイである。
対してハラキリは儀礼的意味合いがあり、過去にハラキリの儀式を執り行ったニンジャたちがニンジャソウルの正体。)
ショウ・シンジョウ、吉光、キャプテン・サワダ(いずれも切腹する技を持つキャラクター)
モータルコンバット (敗北後に自キャラを切腹させることができるゲーム。究極神拳も併せて参照のこと)
さや侍 - テーマの一つとした映画。
又吉イエス - よく対立候補に対し「腹を切って死ぬべきだ」と発言する。
東郷美森 - 未遂ながらアニメ内で切腹しようとした。
ハラキリ=セップク丸 - 切腹をスポーツだと思っていたキャラ。切腹はスポーツじゃないです。