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藤浪晋太郎の編集履歴

2022-09-24 14:32:51 バージョン

藤浪晋太郎

ふじなみしんたろう

藤浪晋太郎とは、阪神タイガースに所属するプロ野球選手。投手。右投右打。

概要

1994年4月12日大阪府生まれ。


2010年大阪桐蔭高校へ進学し、1年生の夏からベンチ入り、2年春からエースとなった。

2012年、3年生の時に挑んだ春のセンバツ・夏の甲子園では主戦投手として、大阪桐蔭の春夏連覇に貢献した。後にチームメイトとなる北條史也とはこの時対戦している。


同年2012年のドラフト会議で阪神タイガースオリックス・バファローズ東京ヤクルトスワローズ千葉ロッテマリーンズの4球団から1位指名を受け、抽選の結果、阪神が交渉権を獲得した。

阪神ではかつて巨人キラーと銘打たれていた小林繁が付けていた背番号「19」を継承した。


197cmという長身が特徴で、高校生時代の異名は「なにわのダルビッシュ」。


ルーキーイヤーの2013年4月には、3勝を挙げ、松坂大輔の持つ高卒選手のプロ初月間勝利数2勝を更新した。その後も順調に成績を重ね、10勝6敗 防御率2.75でフィニッシュ。

松坂大輔以来の高卒初年度における月間MVP、田中将大以来の高卒初年度10勝を記録。

新人王は16勝の小川泰弘が選ばれたが、13勝の菅野智之とともに新人特別賞を受賞。


2年目の2014年では、当初こそフォーム改造などもあり苦しんだが、以後は復調し勝ち星を重ね、

シーズン残り2日を残して11勝8敗、防御率3.53を記録。高卒初年度からの2年連続10勝は

平成では松坂大輔以来となる2人目となり、奇しくも両方が

高校時代に春夏連覇を達成している。


2015年シーズンは体幹も強くなりフォームも安定し28試合に先発登板、14勝7敗、221奪三振でセ・リーグ奪三振王のタイトルを獲得。高卒3年目での200奪三振はダルビッシュ有以来。


プロ入りの頃よりコントロールに難があり四死球の多い投手ではあったが、2017年頃から失投が右打者の頭部に、左打者の膝元にそれぞれ向かっていくという悪癖を露呈。右打者の頭部に向かっていく失投は比較的スピードの出ない変化球が抜けるケースであることが殆どで、一部で誤解されている「160km/hの剛速球が頭部に向かっていく」ことはまずないが、それでも頭部への投球は安全に関わることから問題視され、登板機会は激減することとなった。

2019年以降はこの悪癖が更に悪化、オープン戦では対戦相手も藤浪の登板時は選手の安全を理由に勝敗度外視で全員左打者を並べるにまで至ってしまっている。

実際2019年当時の中日の村上隆行打撃コーチは、8月1日の対阪神戦での藤浪の登板時(この日は4回1/3を投げ1失点、藤波に勝敗つかず。試合は阪神3-2で勝利)に「正直言って危ないんでね。いつもぶつけられている。『勇気を持って死ぬ覚悟でいけ』とは言えない」とのコメントを残している。結局、この年の公式戦での登板はこの1試合だけに終わり、プロ入り初の未勝利に終わっている。


2020年3月26日に『数日前から匂いを感じなくなった』という理由で、新型コロナウイルスのPCR検査を受け、翌27日に球団よりチームメイトの長坂拳弥伊藤隼太らと共に陽性であることが公表された。日本プロ野球では初のコロナ感染を公表した選手となった。

ちょうどこの頃、新型コロナウイルス感染者は、嗅覚や味覚がなくなってしまう傾向がある(感染者の2/3程)』と発表されたばかりだった。


以前からの暴投癖で結果を残せず、遂に見限られて二軍落ちしたことやコロナ感染などで(主になんJ民から)様々な誹謗中傷を受けていたが、2020年9月から主力の大量離脱に伴い、復調へのリハビリも兼ねてか中継ぎで緊急登板したところ、短いイニングで全力で投げられたこともあってか徐々に復調、荒れ球もいい具合に改善され、ストレートに関しては自己最速の162㎞/hを叩き出すまでに至った。シーズン終盤には先発に復帰して、勝ち星こそつかなかったものの3試合で失点1(自責点0)という成績を挙げており、以後のシーズンの復活が大いに期待されることになった。


2021年には、開幕投手の本命であった西勇輝が持病の喘息に伴う調整の遅れもあり、9年目にして自身初の開幕投手に任命される。荒れ球や与四球こそ変わらず目立つものの、ピンチで大崩れすることがなくなり、先発として試合を作れるようになるなど、昨年後半の投球内容を継続。2試合連続で不運が重なり白星を逃すも、3戦目にして相性抜群の横浜スタジアムにて、昨年とは異なり、安定した内容での先発白星を飾り、ようやく長い不振からの脱却を印象づけた。


2022年には、またしても開幕投手の本命であった青柳晃洋がコロナ感染により伴う調整の遅れもあり、2年連続の開幕投手に任命される。だが、またしても勝ち星がつかなかった他、先発ローテにも付け入る隙がなかったため、しばらく二軍生活を送る羽目に。しかし、後半戦になると、縦に腕を振り下ろすフォームに変えたところ、これまでの制球難が嘘のように改善され、以前のような危なげな投球もなければ、然程大崩れすることなく試合を作れたりと先発としての役割を再度果たす様になる。



人物

身長は小学校卒業時にはすでに180cm、中学校卒業時で194cmあったという。


大阪府出身だが、寮や自室にグッズを飾るほどの大の巨人ファンであり、現在も変わっていない事を公言している。


東野圭吾山田悠介の小説を愛読している読書家。


阪神の球団寮「虎風荘」に入寮した際、すでに置いてあったベッドでは小さ過ぎたため、彼の身長に合ったベッドを新調した。


日曜日の登板が多い。


ヒーローインタビューの際に必ずと言っていいほど「必死のパッチ」を口にする。この「必死のパッチ」の元ネタは元阪神捕手矢野燿大であり、矢野自身は関西ローカルのスポーツニュースで藤浪の話題の際に「俺の”必死のパッチ”をパクリやがった」と話している。


なんJ語録を知っており、SNS上でファンとの交流ではなんJ民であることを隠そうとしなかった。ただし見るのはまとめサイト等であり、なんJそのものは見ていないとのこと。

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