ライブ感
らいぶかん
創作用語
※ソースが不足しています。情報を所持している人追記お願いします。 | 最兇ノ敵、最期ノ猛進by泡砂燐 |
転じて、ドラマやアニメ放送、小説やマンガ連載、SMSや動画配信などにおいて「何が起こるかわからないドキドキワクワク」や「従来の枠にとらわれない構想」、「その場の思いつき」や「土壇場のひらめきが生んだフリーダムな展開」といったものに漠然と”ライブ感”という用語が用いられる。
ただし、現段階においてこの用語の定義はかなり曖昧なものでありクリエーターや批評者がなにをもって”ライブ感”とするかは非常に錯綜としている。
一定の読者や視聴者からの意見をまとめると、細かなシナリオの設定や辻褄よりもかっこよさやオシャレな展開にするという展開とされている。
迫力に満ちた見せ場を演出できる一方で、往々にしてそれまでのストーリーや設定・考証といった要素が一気に有名無実となる原因にもなり得ることから「どういうことなの・・・(ドン引き)」や「ノリと勢い」といったマイナスイメージでとられることも少なくなく、良い意味でも悪い意味でも物議を醸す要素である。
そもそも概念の定義はおろか提唱者すら確定していないのが実態。
現段階では半ばマジックワードとしてこの言葉だけが独り歩きし続けている。
言葉の経緯
業界用語として存在していたものと思われるが詳細は不明。この用語が本格的に流通しはじめたのは、仮面ライダー平成一期がきっかけとされる。
『仮面ライダーアギト』以降、平成ライダーズは設定に囚われず連続ドラマ的で実験的な作品が複数続いた。これに絶賛する声が続々とあがった一方で、従来の作風からかけ離れた部分、つまり昭和ライダーの王道展開や平成第1作『仮面ライダークウガ』の設定重視路線からかけ離れた、衝撃・話題性重視な展開がライダーの作風となった。まさに「カイガン!平成ライダー!新たな個性!これが平成!」を地で行く作品群である。
プロデューサーの白倉伸一郎はこれを”ライブ感”と表現した(※仮面ライダー龍騎の頃あたりが初出という説があるが詳細不明、情報求む)。
概ね好評であった初期白倉ライダーだが「話が飛び飛びで分かりにくい」という声もあった(もっともこの頃は「井上ワープ」のように井上敏樹のせいにされることも多かった)。そして『仮面ライダー響鬼』後半のプロデューサー交代騒動、白倉路線復活により前期響鬼の支持者を中心に反ライブ感派が発生。視聴者側も徐々にこの言葉を用いた批評を行うケースが増えだした。([当時の2chスレ>https://tv7.5ch.net/test/read.cgi/sfx/1162336231/])
かれこれ数十年続いているライダーのライブ感路線だが、今なお好き嫌いの議論が起きやすく、反ライブ感派は否定的に、逆にライブ感派からは称賛として使用される。
白倉P戦隊移動でとうとうスーパー戦隊シリーズにも波及しした。
ライブ感の例
戦前において、今日的なライブ感でならしていた作家のひとりが江戸川乱歩であろう。
というのもこの人物、日本におけるミステリー作品の開祖として知られているものの、「いいぞもっとやれ!」といった読者のからのレスポンスや自身でも筆がノッてくるなどするとかなり常軌を逸した描写を次々と記していくことで有名であった。かの明智小五郎シリーズもこれの影響で『人間豹』などのように獣姦含むエログロナンセンス&伏線投げっぱなしエンドみたいなとてつもない内容になっている話しも結構ある。
結果として「推理小説というジャンルが一時期にマジキチ路線という印象を持たれた原因の一つは乱歩のせい」といった見方すらある。
(……まあ、乱歩先生は本格よりは変格に傾倒していた時期もあったから、多少はね?)
加えて、事実上の見切り発車で作品を受注してしまった末に結局ストーリーがまとまらず迷走状態に陥ったケースも結構あり、昭和8年発表の『悪霊』に至っては「よく考えないまま書き出したら訳が分からなくなって、やる気が無くなっちゃったから休みます(意訳)」とわずか数カ月で事実上の断筆宣言をする羽目になっている。
ただし、こうしたように潔く「書けません!」と声明を出していたことは、近年問題視されているクリエーターの死亡や公式アナウンス途絶といった突然の絶筆・エタりと比べてユーザーにとっては最悪な結末のなかでも最も理想的な幕引きとして引き合いに出されるケースが多い。
漫画におけるライブ感で有名なのはドカベンの対弁慶高校戦である。打ち合わせでは一番バッター山田太郎の第一打席を三振にする予定であったが、作者水島新司いわくとても良いホームランシーンが描けたため三振をホームランに変更し、試合経過がめちゃくちゃになったという逸話がある。
このように漫画家の中には作画を中心と考えるため、良い作画がかけた場合話の流れを変更する場合もある。
アニメ業界においては、80年代には既にライブ感を基調としたぶっ飛んだ展開を皮肉る「脱力させられたら富田脚本」なる名言(?)が存在している。
2015年~2017年にかけて放送された『機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ』は制作側がライブ感を重視した作品であることを公言している。いわゆる生放送感を狙った試みであった模様。
この結果生まれたのがあの名(迷?)シーンである。
この作品の評価をめぐっては、当時のpixiv百科事典上でも『機動戦士ガンダムSEED』に匹敵する大激論が引き起こされた。