概要
日本の五大紙の一つとされている。しかし、その中では部数が最も低い。また、全国紙とみなされているが、関東と近畿を除いては販売拠点が無く、地方では購読が難しい。
全国紙というより首都圏と関西圏のブロック紙のようなものと考えればだいたいあってるといえよう。
読売新聞の販売店が配達する事もあれば、朝日新聞を取り扱う新聞店が配達している事も珍しくない。さらに、福岡県に関しては西日本新聞の販売店にて、福岡県以外の九州地方および山口県に関しては、2009年から九州・山口特別版の印刷を委託してもらっている毎日新聞の販売店にて、それぞれ取り扱ってもらっている。なお、地域によっては読売新聞に印刷を委託してもらっているほか、山口県を除く中国地方では2016年から山陽新聞に印刷を委託してもらっている。
2020年10月以降全国販売を取りやめ、全国紙から事実上完全撤退しているが、実は元から販売網が近畿と関東にのみ集中しており、全国紙と呼べるのかという批判があった。その後も販売減は続き、2022年3月度のABC部数では販売店部数が100万部を下回り、系列のサンケイスポーツの公称発行部数(約123万部)をも下回る状況となっている。
脆弱な経営基盤から経営難が続いており、在京マスコミでは「産経残酷、時事地獄」として知られ時事通信社と並び記者の待遇は劣悪とされる。また、労働組合が水野成夫元社長によって御用組合となっており、現在はUAゼンセンに加盟している。さらに部数の落ち込みから2009年以降リストラを繰り返し、地方の取材拠点も大幅に減少、北海道・東北・中部・中国・四国地方の支局のほとんどが駐在拠点化され、有名無実の存在となっている。また、沖縄県からの購読申し込みは出来ない(空輸による販売店経由での購読となる。それ以外の地域では購読の申し込みは可能)。こうした販売網の弱さもあり、近年では電子版に力を入れている。
名前から経済系の専門紙と誤解される事もあるが、分類的には一般紙である。ただし、1933年に大阪で「日本工業新聞」というタイトルで創刊された当時はれっきとした経済紙であった。
1942年、産業經済新聞社に商号変更と共に『産業經済新聞』に改題、1950年に東京に進出した際に一般紙に転換している。
1951年、 産業經済新聞社が世界経済新聞社を合併、東京で発行する『夕刊世界経済』(1946年に『世界日報』として創刊)を東京発行の『産業経済新聞』に合併。
1955年、東京発行の『産業経済新聞』が『時事新報』を合同し、『産經時事』に改題。
1958年に東京発行の『産經時事』、1959年に大阪発行の『産業経済新聞』が現在の題名に改名。(1969年から1988年までの間は片仮名の「サンケイ」表記。)
フジテレビ・ニッポン放送(ラジオ大阪)・扶桑社などと同じフジサンケイグループの一社で、広告費としてグループ会社から資金援助を受けている。その一方で、自前でスポーツ紙「サンケイスポーツ」(1955年に大阪で創刊、1963年東京進出)と夕刊紙「夕刊フジ」(1969年創刊)を出している。サンスポ関東版では横浜DeNAベイスターズを特集する「BAY☆スタ」の発行を行い、ベイスターズ情報に特化した公式アカウントを持っている。
論調
「反共」を旗印とする新聞として創刊されたため、「不偏不党」と飽くまでも中立を掲げる他の新聞と異なり、自民党、アメリカ、財界寄りの姿勢をはっきり打ち出しているのが特徴。
大阪府政では府議会自民党と同じく大阪都構想に反対している。
1968年に鹿内信隆が社長に就任し、1969年4月1日に社説を「主張」に改題。7月には鹿内が「新聞が本当に不偏不党の立場でまかり通るような安泰なものに。今、日本の国内情勢が成っているでしょうか」「毅然と守ろう『自由』、警戒せよ、左翼的商業主義!」と広告主向け説明会で演説し、「正論」路線を打ち出した。
1990年代には内海賢二が「新聞はみな同じではありません。モノを言う新聞です。産経新聞」とキャッチフレーズを読み上げる、プロレスラーの蝶野正洋が「群れない、逃げない。産経新聞」とキャッチフレーズを読み上げるCMが流れた。
連載作品
少年ケニヤ(まだ「産業経済新聞」表記だった1951年より連載された絵物語)
鉄腕アトム(単行本化の際「アトム今昔物語」と改名)
新竹取物語 1000年女王(本来はこの新聞で連載された漫画だが、山口県以西では西日本スポーツにて掲載)
関連タグ
外部リンク
- 公式サイト
- サンケイスポーツ公式サイト
- 夕刊フジ公式サイト「ZAKZAK」
- iRONNA
- 購読申し込み案内トップページ(これを見る限り沖縄県以外では購読可能ではあることがわかる)